今回は1月6日放送の
ポツンと一軒家
2時間半スペシャル
2019年最初の放送は
選りすぐりの4軒を一挙公開
宮城県の県南部山奥編
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組で今回は、
宮城県にある県南部山奥。
敷地内に棚田?のようなものと、
赤い屋根と青っぽい屋根の
合計3棟。
最寄の集落で情報を得ようと
山道を抜け民家を探すと
囲いがあり、畑みたいな場所が。
その奥にお父さんの姿があったので
道を尋ねてみると、この辺りの
目印だと教えてくれたのは、
松を植えて作られたという
丸い緑の円がある事を知る。
これは、大正6年に観光PRのため、
山の頂に作られた町のシンボルであり、
当時 丸く植えた松の木は害虫の被害で
枯れてしまい、昭和60年に檜に
植え替えられているそうです。
およそ100年前の松を植えた当時は
見通しがよく、町中から見えていた
そうですが、今は視界が開けた所から
かろうじて見える程度で、地元の人も
ほとんど知らないようです。
肝心なポツンと一軒家については、
行ったことがないからわからないと
言われてしまうが、進もうとしていた
先には道がないので迂回するしかない
という情報を得ることができた。
麓の町に下りて聞き込みを行うと、
庭いじりをする女性を発見。
家の中にいた大工さんに聞いても
わからなかったが、角材を持った
カッちゃんという大工さんに
地図を見てもらうと、場所も住人の
名前も知っていた。
山奥の一軒家に住むのは、
イナムラさんという方で、
庭に枝垂れ桜の大木が
ある事がわかった。
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カッちゃんは、有害駆除で
イノシシを獲っているそうで、
写真と共に駆除したイノシシの
尻尾をみせてくれた。
その駆除証明の写真と尻尾は、
県に提出するもの。
2011年、東日本大震災後に住民が
避難し無人となった集落で
イノシシが大量繁殖したため。
震災前の4倍にも増えたという
イノシシによって農作物の被害が
拡大し、被害総額は1億円以上に
のぼるのだそうだ。
そこで宮城県では1500頭の
イノシシ駆除を猟友会に委託、
カッちゃんが箱罠で対応している。
道案内のついでに箱罠のある
場所へ向かうことに!
するとそこには3頭のイノシシが
罠に掛かっていた。
1ヶ月で49頭捕獲することも
あるようです。
震災の影響でとんでもなく
増えてしまったイノシシ。
出来る事なら共存したいが
難しく、震災の影響は
人だけでなく、野生の動物に
とっても不幸な出来事に
なってしまっていた。
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イナムラさんの一軒家の
捜索再開。
急な坂道、1台しか通るのが
やっとの道幅。
狭い山道を進み続けると、
教えてもらった下に降りる
道を進むと家発見!
ポツンと一軒家の主
イナムラサトシさん70歳
水道が引かれていないこの家の
生活用水は昔から山の地下水。
くみ上げた地下水を砂と石炭で
濾過して使っているという。
お母さんは96歳。
築150年以上のこの土地に
先祖代々暮らし、ヒトシさんは5代目。
3人兄妹の長男としてこ
の家に生まれ育ったヒトシさんは、
現在は母親と二人暮らしをしている。
山奥で先祖代々続く農家しているそうで、
山の斜面に広がる棚田は現在7枚だが、
最盛期には20枚以上あり、沢山の
お米を作っていたという。
10年前までは、親子二人で出荷するも
現在は親子で食べる分だけを栽培。
イナムラ家の母屋の隣に建つのは倉庫で、
昔は牛とかいた小屋になっていた。
現在は精米機や東北地方のブランド米
ひとめぼれを親戚やご近所へのおすそわけや、
不作に備えているという。
3棟のうち、最も小さな建物は、
農機具置き場で、トラクターや
脱穀機をしまっている。
自給自足の生活をし、
お米だけでなく、家の脇の
小さな畑で、白菜や大根など、
親子で食べる分だけを栽培している。
ヒトシさんは東京に30年くらい居て、
小さいけど自分で会社をしていた。
23歳で上京し、住宅設備会社に就職。
38歳で独立して会社を設立し、
40歳で結婚。
その年に長男が誕生。
10年前に奥様を亡くされ、
長男は結婚して独立。
7年前、事業を清算し
帰郷したという。
お母様も、早くに夫を亡くし
女でひとつで子供3人を
育て上げていたそうだ。
現在ヒトシさんは、地元の
建設会社に勤め、母親と同居。
東京での設備の仕事経験が
役立っているという。
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