今回は5月2日放送の
ビーバップ!ハイヒール
日本の文豪×食べ物の秘密
の回を振り返って
みたいと思います。
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それは、
山崎豊子さんの暖簾
彼女の実家は、
老舗昆布店「小倉屋山本」
(大阪・南船場)
そのお店をモデルにした
処女作が暖簾。
徳川時代から諸国の物産の
集積地として
大名の蔵屋敷が棟を並べた
大坂へ…(省略)
近江商人が来、木綿類の日用品を
蝦夷松前(北海道)へ積み上り、
帰途の空船に昆布を
積み下って来た。
「暖簾」
江戸時代の大阪は”天下の台所”
様々な食材が集まる日本一の商業地。
そのため江戸時代の海上交易は、
大阪を中心に発達し、北海道の
名産品である昆布も日本海から
瀬戸内海を通り、大阪へ
運ばれるのが主要ルートで、
北海道→東京ルートが
出来たのはずっと後。
その結果、質の良い昆布が
出回らず、昆布だし文化が
根付かなかったそうだ。
お好み焼きが生まれたのは東京
高見順さんの如何なる星の下に
ノーベル賞作家である
川端康成さんにも影響を与えた
高見順さんの代表作、
昭和14年に発表された
如何なる星の下に。
この作品は、
昭和初期(戦前)の東京・浅草を
舞台に小説家の男が踊り子と
恋に落ちる物語。
軒並み芸人の家だらけの
浅草田島町の一区画のなかに、
私の行きつけのお好み焼き屋がある。
普通のしもた屋がお好み焼屋を
やっているのが、
三軒向かい合っていた。
※しもた屋…商売をしていない家
「如何なる星の下に」
大阪のお好み焼きが
東京に進出していた?
ところが、どれだけ文献や
資料をひっくり返しても、
戦前の大阪には、
お好み焼きのことを書いた
文献が一切出て来ない!
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そもそもお好み焼き屋は、
男と女の密会の場所だった。
お好み焼きのルーツは、
明治時代の子どもの路上遊び
だといわれているそうです。
溶いた小麦粉を匙ですくい、
鉄板の上に文字や絵を描いて
食べる文字焼き。
その様子から遊戯料理
と呼ばれた。
それを見た人が、大人の男と女でも
あんなふうに好きな物を
ふたりで焼いて食べたら楽しい
と思いつき、大人の男女の為の
遊戯料理店を出す店が浅草に!
六畳一間&二人きりで
好きなものを焼く
システムが評判を呼び、
浅草の踊り子が、ひいきの男と
こっそりやってくるようになった。
高見順さんも自らの小説で
書いた通り、浅草の踊り子と
その店にやって来た。
昭和12年、浅草で
高見順さんがお好み焼き
と命名したのが始まり
だといわれている。
そのお好み焼きが、
大阪商人の目に留まって、
戦後の大阪にも広まった
とされる。
野瀬先生によると、
大阪のお好み焼きは、昭和21年
ぼてぢゅう総本家が出来たのが
始まりだと言われている。
(諸説あり)
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