今回は10月31日放送の
ビーバップ!ハイヒール
歴史に埋もれた天才の
激動の人生の回を振り返って
みたいと思います。
アルベルト・アインシュタイン、
トーマス・エジソン、松下幸之助。
時代を動かし、歴史に
名を残す天才たちの影には、
天才と呼ばれながらも、
歴史の流れに飲み込まれ、
悲劇の最期を遂げた
男たちもいる。
大阪中之島に建つ、1918年建設の
大阪市中央公会堂はかつて、
ヘレン・ケラーやガガーリン大佐の
講演会が開催される等、
歴史的建造物として、国の重要文化財
になっているという。
そんな公会堂の片隅には、
岩本栄之助の銅像がある。
彼は明治時代に株トレードの天才、
北浜の風雲児と呼ばれる大富豪だった。
しかし、そんな岩本の最期は
1916年10月22日、39歳で
ピストル自殺を図っていた。
1900年頃 岩本商店を経営し、
株式投機を行っていた岩本。
彼の株の買い方は、
世間が買いなら売り
世間が売りなら買い
という逆張りが大当たりし、
莫大な資産を築いた。
時には、株仲間を助けることも
あったそうで、その中には、
野村証券の創始者 野村徳七もいた。
そんな岩本は、1909年に
渡米実業団の1人として、
アメリカ各地を視察し、
カーネギーホールに
心奪われていたという。
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そこは、実業家である
アンドリュー・カーネギーが
人々のために私財を投じて
完成させたコンサートホール。
岩本も、自分も成功している時に
みんなのためになにかせなあかんと、
人々のために私財を投じる決意
したのだそうです。
岩本は、1911年 大阪に百萬圓
(現在の価値で数十億円)を寄付して、
その寄付金で建てられたのが
大阪市中央公会堂だという。
この寄付により岩本の名は、
大阪商人の鑑として広く
知れわたったそうだ。
だが、寄付から3年後の1914年に
第一次世界大戦が勃発。
戦争物資の需要増加による
好景気で株価は上昇。
岩本はこんな異常な状態が
続くわけない、すぐに戦争は
終わって株価は暴落すると
考え売りに賭けた。
しかし、株価は一収まらず、
本格的な大戦景気が訪れ、暴騰。
株価の下落に賭けていた岩本の
資産が底をつき、膨れ上がる借金に
なす術がなかった。
大阪に寄付した百萬圓を一部、
返してもらったらと提案された
岩本だったが、それは大阪商人の
恥だとして断っていた。
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1916年10月22日
岩本は従業員と一緒に松茸狩りに
行く予定だったが、1人店に
残ったそうだ。
午前中は店の書類の整理をし、
午後は三越呉服店で写真を撮った。
その帰り道、まだ建設中だった
中央公会堂に立ち寄り、
はようできてほしい、この建物が
大阪発展のために少しでも
役に立てたらええと考えていた。
その日の夜、乾いた銃声と共に
天才と呼ばれた男の一生は
幕を閉じたのだという。
傍らにあった岩本の遺書には、
全財産を債権者に提供。妻子のためには、
一文たりとも使ってはならぬ。
株式投機は自分一代に限り、
子孫は決してすべからず。
とあり、岩本の遺志を継いだ大阪市が
建設を続行、彼の死の2年後に
完成したそうだ。
岩本の死から2年後、
第一次世界大戦は終結し、
株は暴落した。
このように知られざる天才たちが
生きた激動の人生には、想像を
絶するドラマが隠されている。
それを教えてくれるのは、
エコノミスト 玉手義朗先生。
日経BP
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