今回は1月27日放送の

徹子の部屋を振り返って

みたいと思います。

 

この日のゲストは、

東大生で著書は累計170万部以上の

松丸亮吾さん。

 

10代の男子が選ぶ

なりたい顔ランキングで1位。

 

肩書きは、謎解きクリエイターと

紹介されていた。

 

 

 

 

黒柳徹子さんは、謎解きはあんまり

やっていないと言いながらも、

ANDに変換して、CANDYという

答えを導き出していた。

 

松丸さんは徹子さんに、

今日は頭の中にキャンディーが

あるか問い掛けると、徹子さんは

心の清らかな方子どもにしか

あげないことにしてあると謝る。

 

心の清らかな方という言葉に

松丸さん∋-(><)→サク

 

 

東大休学中なのは?

 

親と話していた事で、

大学に入るまでずっと勉強していた

松丸さんは大学に入ってからも勉強。

 

そのまま仕事に就くとなると、

勉強以外の経験がほとんど

出来なくなってしまう。

 

そこで、大好きな謎解きを広める

活動を1年間休学させて欲しいと

お願いしてのことだという。

 

今は大学に行って、そのまま仕事に

就くんじゃなくて、いろんな仕事の

持ち方と生き方があるから自分が

いきたいように生きればいいと

声を掛けてくれたのだそうです。

 

 

メンタリストのDaiGoさんが長男で、

対抗意識があったと話す。

 

小さい時からずっとライバルだと

思っていたそうで、徹子の部屋

こうして座っているのが夢みたいで、

DaiGoさんにも報告していた。

 

 

   

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松丸さんが高校2年生の時に、

母親がお亡くなりになられた。

 

その時松丸さんは反抗期真っ只中で、

松丸さんが中学にあがった頃に

DaiGoさんがテレビに出始めた。

 

ちゃんと比較されるのが嫌で、

DaiGoの弟とかDaiGoはテレビに出たけど、

亮吾はどうするの?など、聞かれる度に

うるさいと感じていたという。

 

高校1年生の時が一番酷かったが、

親ががんになってしまって1回は

手術をして成功していた。

 

はじめてがんになったという話しを

聞いた時は不安だったが、手術を

したので安心したが、亮吾さんが

知らない間に、親のがんが転移

してしまっていて自宅療養に。

 

当時、亮吾さんは自宅療養の意味が

わかっていなかったようで、自宅に

居れるくらい良くなっていたと勘違い。

 

ある時、親から今日が最後だから

入りなさいと言われた。

 

当日、亮吾さんが部屋に入って、

兄弟全員が集まった時に一瞬だけ

意識を取り戻して、そこで今までの

ことについてごめんなさいと

謝ったという。

 

親はそれを聞いて、亡くなられた。

 

遺品を整理していると、

私のやりたかった目標が書かれていて、

その中に頑張れたら亮吾が東大に行く

所を見届けたかったとあった。

 

亮吾さんが小6の時にDaiGoさんが

東大を受験するも点数が少し

及ばなかった。

 

親は息子を1人でも東大に

行かせたいと言っていたが、

DaiGoさんが出来ずに

落ち込んでいたので、

僕が東大に行くと言ったそうだ。

 

その目標を見て、亮吾さんは

約束をしていた事を思いだしたが、

300人いる学校全体のでストで

298位だった…。

 

そこから全部、やり直そうと思い

親が教えてくれた勉強法で

3ヵ月位ずっと勉強する。

 

7月の定期試験で全部の成績

トータル合計が学年7位に!

 

親の残してくれたものが

大きすぎて、凄いねって

言われる度に僕じゃない!

 

親が僕に教えてくれたこと、

残してくれたものが、こんなに

大きくしてくれたという。

 

 

   

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佐賀県の小学校で謎解きの

大会を開いたが、これは

ある少年との出会いが

きっかけだった。

 

難病の少年 西田君が叶えたい

願いが、まだTVに全然出ていなかった

亮吾さんに会う事。

 

西田君は佐賀県から東京まで

会いに来てくれたそうだが、

当時の亮吾さんは謎解きを作るのを

やめようと思っていた。

 

西田君は亮吾さんは生きる楽しさを

作ってくれた人だからこれからも

謎解きを作り続けて下さいとお願い

したことによって今も問題を

作り続けている。

 

西田君は亡くなってしまったが、

西田君のことを忘れないでいて欲しと

その小学校で謎解きのイベントを

開催したのだという。

 

 

   

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