今回は4月18日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
三角屋根の家
家の前まで道路が
小さな建物が数棟
衛星写真で見つけた広島県の
ポツンと一軒家を目指し
最寄りの集落から捜索を開始。
少し内側に入った所で
聞いてみることにすると、
大きな石垣が。
洗濯物を入れている住人を
発見したので声をかけて見る。
見かけたのはお母さんだったが、
お父さんが衛星写真をみると、
ヤマグチの家じゃねぇかな?という。
目指すポツンと一軒家に住むのは、
60代のヤマグチさん夫婦。
お墓に供える櫁や神棚に飾る
榊を育てているらしい。
捜索再開。
集落の端で道幅が縮小されている。
ポツンと一軒家に辿り着く。
ポツンと一軒家のあるじ
ヤマグチケンジさん74歳で
こちらは奥さんの生家だという。
この山奥の一軒家は、
奥さんの実家。
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9年前にお母さんが亡くなってから
誰も住んではいないが、
ヤマグチさん夫婦は共働きの
次男夫婦の子ども達の世話と、
櫁畑の手入れや出荷のため、
車で40分ほどかかる福山市の
自宅から毎日40分かけて
通勤しているそうだ。
お正月とお盆、春と秋のお彼岸、
年4回の繁忙期には10日間ほど
泊まり込みで作業されている。
奥さんの幼少時はまだ、
川沿いの道は未舗装。
そこを片道4㎞ 往復2時間かけて
徒歩通学していた。
昔は20軒以上の家がある
集落だった。
昭和7年、満州国建国直後から、
不況で疲弊した農村の救済や
食料増産を目的に、国策として
日本からの移住を推進。
約27万人が満州に開拓団として
移住した満蒙開拓移民。
昭和19年に開拓団を率い
夫婦で満州へ向かい、
翌年終戦で帰国。
ここへ開拓で20軒ばかりが
入ってから、米を作って
食料を増産。
ところが急に日本経済が伸びていくと、
他所へ行って必要性がないから
20軒が少なくなっていった。
両親が満州から引き揚げた2年後に、
山奥の家に奥さんが誕生。
最初は山を開墾し、棚田で稲作を
していたが、国の減反政策と
父の体調不良から、母が需要を
見込んで、米から櫁へ方向転換。
それまで家の周りにあった棚田は
櫁畑に姿をかえて、9年前に母が
亡くなった後、奥さんが家業を継承。
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高校進学を機に福山市で
寮生活を始めた奥さんは、
高校卒業後に就職した
会社で職場結婚。
奥さんが一人っ子だった為、
ケンジさんがヤマグチ家に婿入り。
ところが、ケンジさんは長男なので
反対されたので、婿養子には行かず、
名前だけ変えた。
奥さんは19歳で卵巣嚢腫を患い、
卵巣を1つ摘出し、医者から子供は
無理だろうと宣告された。
そのためケンジさんは、どちらにしても
跡取は出来ないのだからと、親を説得し、
ヤマグチ家へ婿入りしたのだという。
でも、医者の宣告に反して、
子供を出産することができた。
常に2人は、お金をかけない
0円生活を心掛けている。
夏の日よけになるテラスは、
山から切り出した木や
貰った廃材を使用して建設。
捜索隊がここに来るのに通って来た
狭い山道が奇麗だったのは、
やまぐちさん夫婦が頻繁に
掃除をしているから。
その際、側溝に溜まった
落ち葉も除去し、集めた落ち葉を
堆肥に利用している。
それが4年後に栄養たっぷりの
腐葉土になり、櫁畑や野菜畑の
肥料となっている。
家の裏の林では、椎茸栽培も!
亡くなったお父さんの習わしを引き継ぎ、
ヤマグチさん夫婦も孫が生まれる度に、
誕生記念の木を植樹してきた。
ハナミズキや紅葉・サルスベリ、
5人分の記念樹は孫たちの
成長と共にすくすくと育つ。
さらに孫が保育園で食べた
柿の種や桃の種を埋めると、
こちらも成長したという。
孫の成長と0円生活を楽しみながら、
充実した毎日を送る夫婦が望む事。
奥さんは花が好きなので、
季節の花を育てたい。
ケンジさんは0円の
桃源郷を目指す。
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