今回は4月3日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
建物が2棟
曲がりくねった山道?
道の最終点?
庭が白い土
衛星写真で見つけた宮崎県の
ポツンと一軒家。
最寄りの集落に到着し、
椎葉レンタカー事務所に
住人発見。
住人のお父さんに衛星写真を見て
頂くと、目指すポツンと一軒家には
71歳のナスヨシタカさんが1人で
暮しているという。
お父さんとナスヨシタカさんは
同級生で生年月日が一緒。
電話して、家にいるか
聞いてもらっていた。
捜索再開。
ナビにも載っていない道を進み、
高い山の頂上にある
ポツンと一軒家に辿り着いた。
目印のようにたつ携帯電話の
アンテナの近くに色違いの屋根の
平屋が2棟並んで建っている。
いよいよ来るかと思っていたという
ポツンと一軒家のあるじ、
なすよしたかさん71歳。
こちらの家は
よしたかさんの生家で
元々は祖父母は麓に
家があった。
1891年にこの地域を襲った
豪雨により川が氾濫し、
約20軒の民家が流失。
当時、なす家は集落でも
やや高台に建っていたため、
難を逃れたが低い土地にあった
田畑は全滅してしまった。
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その時、近所の人が所有していた山と
祖父母が住んでいた土地を交換し、
自力で山を開拓して家族で移住。
50年前まで捜索隊が車で来た道は無く、
麓の集落と行き来していたのは
高低差およそ300m、距離にして
2㎞近い獣道。
よしたかさんが小学校に通うのも、
家族が買い物に行くのにも獣道を
歩いて登り下りする他なかった。
山の上に家族で移り住んだ後、
林業を営んでいたというなす家の
所有する土地は1500坪。
今は受け継いだ山が荒れないように
1人で管理しているが、本業は
林業ではなかったそうだ。
高校進学を機に山の上の
ポツンと一軒家を出て、
隣町で下宿生活をした
よしたかさん。
高校卒業後、実家から
100km近く離れた町の
運送会社に就職するも、
30歳の時に実家で
祖父母・両親と同居。
家業の林業を手伝いつつ、
地元の運送会社に再就職。
麓で道を聞いた同級生の
会社に勤務していて、
60年来の付き合いがある。
木材運搬のトラック運転手として
65歳まで35年間勤務した。
ピンク色の屋根の建物は、
牛小屋で2階が餌置き場に
なっていて、農耕用に
飼っていた。
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今年の1月に8人目の孫が
誕生したというよしたかさん。
24歳の時に結婚し、
二男二女4人の子供が誕生。
42歳の時に離婚し、
子供たちは元妻と麓の町に移住。
約30年ポツンと一軒家で
1人暮らしをしている。
なす家では生活用水を2ヶ所の
水源から引いた水を飲み水と
それ以外で使い分けしている。
山頂に近い立地で水の確保が
困難だが、新たな水源を探して
やりたいことがあるようだ。
それはヤマメの養殖。
昔は田んぼの除草のために
鯉を飼育していた。
九州の一部の地域では
「唐辛子」を「胡椒」と
呼ぶ地域がある。
大根と唐辛子、煮物の調味料のほかに、
いりこ出汁・みりん・お酒・水を加え、
ことこと2時間煮込んで出来る
胡椒大根は郷土料理。
地元の神社で約400年前から
行われている春祭りの神事として
行われている的射。
無病息災・家内安全を祈願し、
32.5m離れた直径36cmの
「神の的」を射る行事に
よしたかさんは毎年参加している。
そんなよしたかさん、
6年前に命に関わる
重大な危機があった。
それは、木材を掴んで積む機械から
降りる時に滑り落ちて脊髄を痛め、
脳出血を起こしたことで手足の痺れや
言語障害を発症。
転落事故の半年後、
竹を下刈りしていた時に
心筋梗塞で心臓が
止まりかけたという。
半年間に2度も死の淵を
彷徨ったにもかかわらず、
ここに住み続ける理由がある。
先代が地開きまでした土地を
荒らす訳にはいかないという
思いからだった。
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