今回は8月14日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

白い屋根の建物

家の前に車?

前に広い道路が

道路を挟んで低木の畑が

衛星写真で見つけた和歌山県の

ポツンと一軒家を目指し、

最寄りの集落から捜索開始。

 

 

集落に着くとおさんを

発見し、衛星写真を見てもらう。

 

この辺りでポツンと一軒家

言えば、ユキコさんの家しかないと、

断言するも、さらにご近所さんが

加わり、衛星写真を確認すると

違うのではないかという話しに。

 

地域に詳しいご近所さんの家へ

行くと、今は空き家で農機具

置き場になっていると知る。

 

と、いうことで

マエダユキコさんの所へ

行ってみることに。

 

そのポツンと一軒家

空き家から山を2つ越えた

先に85、6歳のまえだゆきこさんが

1人で暮しているらしい。

 

建物を発見するもモノレールが

あるので作業小屋ではないかと、

先を進むことにして、

ポツンと一軒家に辿り着いた。

 

 

 

 

   

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快く取材に応じてくれた

ポツンと一軒家あるじ

まえだゆきこさん87歳。

 

元々は炭焼する人や

山仕事する人するのに

家が遠いから小屋が

建っていたが、

約40年前に前田家1軒に。

 

モノレールは

柚子運搬用だそうだ。

 

4人姉弟の長女として大阪で

生まれ、戦争が始まった

昭和16年、ゆきこさんが

小学3年生の時、父親

故郷である和歌山県に疎開。

 

爆弾落ちたら危ないからと、

国から強制疎開するように

言われていた。

 

着の身着のまま貴重品だけ

持って汽車で移動。

 

疎開先でも戦争があり、

B-29とかP-51なんか

通ったら、もの凄い音。

 

空襲警報が鳴ったら歩けず、

歩いている者や動く物は

撃たれていたのだそうです。

 

学校は行っても、教科書も

鉛筆1本もなかった。

 

勉強道具はなく、

警戒警報が鳴ったら

すぐ帰っていた。

 

そんな体験から

ゆきこさんは

戦争はせん(しない)

のに限ると話してくれた。

 

戦後も和歌山で暮し、

中学校卒業後は

他人の家の家事をする

奉公をいていた。

 

盆と正月は休暇を

貰えるが、年に2回だけ。

 

25歳の時に母親同士

付き合いのあった

前田家の次男と結婚。

 

一男三女 4人の子供

授かったが、夫婦

山奥で生活基盤を築き、

苦労して育てた。

 

子供達は高校を卒業とともに

順番に独立、夫婦2人暮らしになったが、

農家と林業を兼業していた

林業を引退してまもなく59歳で他界。

 

33年前から1人で暮している

ゆきこさんの家の中は、

自宅で冠婚葬祭が出来るように

襖を全部外すと広くなる造り。

 

水道は町営水道で、プロパンガスを

娘婿が運搬してくれる。

 

 

   

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64年前に建てた平屋の母屋の

隣には亡夫が建てた建物がある。

 

母屋の勝手口から屋根続きで

繋がっているので、雨の日でも

濡れずに歩いて行ける。

 

谷から直接くる前田家専用の

水もあるが、水の出が悪いので

鎌を持って掃除しに家から

約100m険しい山を登る。

 

 

以前は沢の水をひいて

家の脇の棚田で稲作をしていたが、

今は田んぼを畑に替えて

野菜を栽培している。

 

だが、畑で野菜を育てても

鹿や猪に全部食べられて

しまうので、ゴーヤや

おくらなど害獣が好まない

作物しか作れない。

 

 

麓のある1.5㎞の山道を

毎日歩いて往復している

ゆきこさん、野菜の他に

烏骨鶏も育てている。

 

朝までお喋りするほど

話し好きなゆきこさんに

会うため、地元の郷土料理

めはり寿司などを持ち寄って、

月に1度はひ孫と食卓を囲む。

 

 

   

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