今回は10月1日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
かなり広大な敷地
中央の黒い屋根が母屋?
左に白い大きな建物
衛星写真で見つけた北海道の
ポツンと一軒家を目指す!?
捜索隊が目指す北海道の
ポツンと一軒家は、
衛星写真で見つけた家
ではなく、先月の放送で
2㎞離れた別の
ポツンと一軒家を
捜索中での出来事。
地元の人から、目指す
ポツンと一軒家は
かわしろさんの家だが、
火事で焼けて今はもう
ないという。
ところが、確かめに行くと
そこには、火事があったとは
思えない綺麗な家が建っていた。
その家のあるじは
えもとさんだった。
その時はえもと家を取材
取材させてもらったが、
火事に遭ったかわしろ家が
気になり、えもと家の
取材後、かわしろ家へ。
辿り着いたポツンと一軒家
では、火災があった家に
足場を組んで解体工事中。
かわしろさんは不在だが、
毎日 通っているようなので、
しばらく待つと、スクーター?
に乗ったかわしろさんの
息子が登場し、
取材許可を貰う。
広大な敷地面積
30町(約30ha)の牧場で、
酪農業を営む北海道の
ポツンと一軒家で乳牛を
70頭飼育するかわしろ家。
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遅れてやってきたのは、
ポツンと一軒家のあるじ
かわしろひろみさん75歳。
昭和32年に酪農を開始し、
ひろみさんの父親の時は、
冬になったら手持ちの山が
あるから、その木を切って
炭を焼いていたそう。
畑作で小豆も栽培していたが、
それだけでは収入が足りない
から、農業以外に現金収入に
なる出稼ぎの仕事もしていた。
子返し制度と呼ばれる
昭和24年から北海道内で
施行された農家に町有の
雌の乳牛を1頭貸与。
子牛を繁殖させ、最初に
生まれた雌の行使を町に
返納させる授乳用の雌牛を
増やす計画があり、その
制度から酪農を開始した。
昭和51年に牛舎建築し、
昭和54年に牛舎増築。
ひろみさんが2代目として
受け継いだのは、昭和59年。
当時 乳牛は26頭で、ひろみさんが
やるようになってから70頭に増加。
かわしろ家が町が推奨していた
酪農を始めたのは、今から
70年ほど近く前で、ひろみさんが
小学生の頃だった。
地元の高校を卒業後、
家業の手伝いをし、
29歳の時に同じ地区で
実家の雑貨店を手伝っていた
3つ下の女性と結婚。
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一男三女、4人の
子供が誕生し、
ひろみさんの両親と
親子三代同居していたのが、
2棟の牛舎とキレイに
刈り揃えた広い庭を
挟んで建つ外壁が
ピンク色で塗られた
2階建ての家。
この家が、去年の11月に
火事に遭い、周囲に
足場を組み解体工事中。
こちらの家を建てたのは
ひろみさんで築27年になる。
火事の原因は薪ストーブが
出火し、煙突の熱で発火。
午後6時に出火した時は、
ひろみさんと奥さんが在宅。
通気口のあたりから
火がチカチカしていた。
消防隊到着まで
30分以上かかり、
消火用水源が無いため、
すごい大型のタンク車が。
山奥のポツンと一軒家に
掛けつけた消防車は5台で、
6時間以上の消火活動で鎮火。
だが、火元の
東側の屋根が崩落。
27年前にひろみさんが
48歳の時に建てた
かわしろ家の母屋は
もう、住めなくなって
しまった。
火事で焼けてしまった
実家をリフォームし、
両親に代わって
長男(息子)一家が
住むことになった。
息子さんは若い頃、
地元を離れて札幌で
15年間生活。
20歳からケーキ屋さんで
働き、その後はレストラン・
ラーメン店・ピザ屋・喫茶店
をやっていた。
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