今回は12月3日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

道路を挟んで数棟の建物が

家まで通じる道が

周囲に数種類の木が?

衛星写真で見つけた愛媛県の

ポツンと一軒家を目指す。

 

愛媛県のポツンと一軒家

目指し、最寄りの集落から

捜索開始。

 

家の外に出ていた

さんを発見し、

旦那さんや近所の方

衛星写真を見てもらい、

目指すポツンと一軒家

みかん農家を営む

おかだせいいちさんが

所有する農作業用の倉庫。

 

昔はみかん畑がある

山の上に家があり、

家族で住んでいたが、

今は麓に下りて

暮しているそうだ。

 

2人に案内してもらえる

ことになり、捜索再開。

 

大勢の地元の人たちの

協力のおかげで出会えた

ポツンと一軒家

おかだせいいちさん76歳。

 

 

 

 

案内してくれた2人とお別れ。

 

畑で育てているみかんは

採ったところもあるし、

これからのところもある。

 

品種は早生で、

大きくなったら

規格外品に

なってしまう。

 

小さい2Sくらいまでの

サイズが製品で出せるそうで、

それ以上の大きさになると

味が不均等になる。

 

 

   

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極早生のみかんは、

9月の末頃から

採って出荷する。

 

晩生のみかんは

年明け頃、

美味しいみかん。

 

最盛期の畑は4町歩

(12,000坪)に1,500本の

みかんの木を植え、

育てていたが、

現在は畑が900坪に対し、

みかんの木は100本。

 

衛星写真で見つけた

ポツンと一軒家は、

みかん農家のおかだ家が

収穫や出荷の時などに

使う作業場兼倉庫。

 

せいいちさんは養子で、

おかだ家は子ども4人

みんな女の子

 

末娘が跡取って、

せいいちさんが

婿入りした。

 

そんな話をしている中、

せいいちさんの

さんが合流。

 

さんによると、

昔は米農家だった

おかだ家。

 

瀬戸内の温暖な気候と

日当りが良く水捌けの

良い土地がみかんの栽培に

適していると昭和30年頃に

みかん農家が増加。

 

両親が山を開墾し、

みかん畑を拡張。

 

昭和40年代までは、

みかんの価格が高く、

出荷量も多かったため、

この山に15軒ほどの

みかん農家が集落を

つくっていた。

 

だが、昭和60年代に入り、

農産物の輸入が自由化されると、

外国産の安いオレンジが

国内にあふれ、みかんの

市場価格が暴落。

 

その後、15軒あった

農家は廃業し、今も

続けているのは

おかだ家のみ。

 

おかだ家だけ続けたのは、

義父が難儀して作ったのに

ちょっとでも残しておいたら、

喜ぶかなという気持ちもあるし、

山を荒らしとくよりかは

見栄えがいいとせいいちさんが

思ったから。

 

 

   

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親が国鉄に勤める

なかの家の4人兄弟の

次男として生まれた

せいいちさんは地元の

中学を卒業後、隣町の

高校に電車で通学。

 

そこで、よく同じ電車に

乗り合わせていたのが、

別の学校に通っていた

同学年のさんだった。

 

2人は18歳から4年の

交際を経て、22歳で結婚。

 

築70年の建物の中には、

コンテナや選果機、

貯蔵庫がある。

 

選果機により

規格外品となったものは、

ジュースなどの

加工品になる。

 

 

4人のが嫁いだ後、

せいいちさんと結婚後も

実家で暮し、みかん農家を

手伝っていたさん。

 

せいいちさんも刑務官として

働きながら、休みの日は

みかん畑で農作業を手伝った。

 

同居していた奥さんの

お父さんが昭和53年に

亡くなり、その20年後に

さんが亡くなった。

 

せいいちさんは18歳から

39年間勤めた刑務官を

57歳で退職。

 

以来、さんと2人で

両親がのこしたみかん畑を

守り続けている。

 

みかん畑から約1㎞先に、

かつて15軒ほどの

みかん農家が暮していた

集落の跡が残っていた。

 

 

   

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