今回は12月17日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
オレンジ色の屋根が2棟横並び
家の前にビニールハウス?
田んぼ?畑?
家まで続く道が?
裏山を整備?
衛星写真で見つけた福島県の
ポツンと一軒家を目指す。
福島県のポツンと一軒家を
目指し、最寄りの集落から
捜索開始。
女性の方を発見し、
衛星写真を見てもらうと、
目指すポツンと一軒家は
空き家ではないかという。
目指すポツンと一軒家が
本当に空き家なのか
確かめるために、女性に
この辺りのことに詳しい
人のお宅まで連れて行って
くれることになった。
連れて行ってもらった
お宅の方によると、
この方の親戚の家だった。
あるじはおおこしさちこさん
で、娘夫婦と3人で暮して
いるそうだ。
80歳のおおこしさちこさん
と同居しているのは、
娘さんと娘婿。
元々は米農家だったが、
今は田んぼをやめ、
自家用に野菜を少し
作っているだけだという。
はじめに道を聞いた
女性に案内してもらい、
ポツンと一軒家に
辿り着いた。
とても優しい笑顔で
捜索隊を迎えてくれた
ポツンと一軒家の主
おおこしさちこさん
80歳と娘婿の64歳。
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東京で印刷会社に勤めていた
父と母の間に一人娘として
生まれたさちこさんは戦時中、
空襲で家が焼けて住む所を失う。
父の実家があった福島県に
親子3人で疎開。
1年ほど麓の実家に
住んでいたが、
祖父が開墾した小さな
田んぼがあった山に自宅を
建て、さちこさんが
4歳の時に移住。
その頃は食べ物も無くて、
最初はお米も作れないから、
小豆とか豆とか蕎麦撒いたり、
小麦を作った。
そういうのを団子にこねて、
団子を味噌汁に入れて、
ご飯代わりに食べていた。
母ちゃんは自分は
食べなくても、
私にはと思って、
バタンバタン倒れてた。
空腹で昏倒していた母。
子供の頃は分からないから、
病院に行かなくて大丈夫
かな?と思っていたという。
最初の3年は豆や小麦を作って
自給自足していたが、徐々に
田んぼを広げて、長く米農家
として生計を立てていた。
しかし、中学校の卒業式の日
だった2011年3月11日に
東日本大震災が発生。
その次の日は、
福島第一原発事故で避難。
福島原発の30㎞圏内にあり、
震災直後に家族全員で
避難を余儀なくされた
おおこし家。
父親はその年に避難先で
亡くなり、自宅に
戻れなかった。
おおこし一家が自宅に
戻ったのは、震災から
3年後だった。
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だが、家業の米作りは
全部の田んぼを除染
しなければならず、
何年も経ったから
周辺の米農家は廃業。
大震災発生から
もうすぐ13年、
米農家を廃業した後も
古い農機具が母屋の隣の
納屋に残っている。
ビニールハウスでは昔、
育苗をしていたが、
今はやってないから
野菜をちょこっと
植えている。
炭鉱で働く両親のもと、
5人兄弟の末っ子として
生まれた娘婿さんは、
隣町の中学校を卒業後に
水産高校へ進学。
海に憧れたけど、
海の時代も終わり、
高校卒業後に
海上自衛隊に入隊。
祖父母が苦労して生活の
基盤を築いたポツンと一軒家。
父が祖父から受け継いだ
米農家を廃業に追いやった
震災からまもなく13年。
来年定年退職を迎える
娘婿の夢は、この山奥の
田んぼを蘇らせ、息子や
孫たちに自分が作った
美味しいお米をたらふく
食べさせることだという。
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取材を終えたおおこし家から
麓の集落に向かって、1㎞
ほど戻った山の中に建って
いるのが、捜索中に訪ねた
おおこし家とは親戚だという
おおこしさん宅。
ここも間違いなく、
ポツンと一軒家。