今回は7月27日放送の

謎解き!伝説のミステリー

「源氏物語」誕生に隠された謎

無名だった紫式部はなぜ出世できた?

振り返ってみます。

(所々敬称略)

 

なぜ、源氏物語は生まれ

世界的ベストセラーに

なったのか?

 

紫式部は貴族の家に生まれたが、

位は下の方で源氏物語を書く前は

無名の存在だった。

 

近年の調査でわかった

紫式部の自宅に、その謎を

解く鍵があった。

 

現在の京都市の人口は

150万人近くだが、

当時の平安京では

約100万人程が暮していた。

 

そのうち、貴族の人数は

1,000人程度でほとんどが

庶民だったそうだ。

 

京都御苑のすぐ隣にある

蘆山寺の創建は930年頃

と言われ、平安時代の

蘆山寺は別の場所にあった。

 

平安時代に紫式部

住んでいた場所は

1000年近く謎だったが、

古文書の内容から現在

蘆山寺のある場所に

あったことが明らかになった。

 

歴史研究家 井手窪剛先生によると、

紫式部は970年頃 貴族の

娘として誕生。

 

紫式部は子どもの頃、

が漢学の勉強を

教えてもらってやってる時に、

よりも先に漢学を

マスターした。

 

貴族の女性は裕福な貴族と

結婚し、後継ぎとなる子を

産むのが一般的だった。

 

 

   

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紫式部も裕福な貴族と結婚し、

娘を出産し、主婦として一生を

終えると思っていたが、

結婚3年目にして

病で亡くなった。

 

紫式部には物語が好きな友人

複数人いたらしく、

ただ読み合うだけでなく、

短い作品を作って友人に見せたり、

創作活動をしていた。

 

このとき、書き始めたのが

1000年読み継がれる

源氏物語へとつながる。

 

若くて才能あふれる

上級貴族 光源氏が様々な

立場の女性と恋愛する物語。

 

漢文や日記が文学作品の

主流だった時代、セレブ

恋愛を赤裸々に描いた小説は

刺激的だったみたい。

 

 

無名の紫式部は

なぜ出世できた?

手がかり①

近所に藤原道長が住んでいた

 

井手窪先生によると、

藤原道長 彰子

一条天皇と結婚させている。

 

嫁いだ道長のおさんは

10代前半で教育係が必要

だと感じた道長

 

女房(教育係)にふさわしい

教養のある女性が必要。

 

そこで、紫式部

抜擢されたが、

道長には企みがあった。

 

一条天皇も文学や学問が

大好きで、紫式部てと物語が

あれば天皇もに興味を

持つはずと思った。

 

 

紫式部をスカウトしたのは

天皇の気を引くため!?

というのが井手窪先生の見解。

 

歴史作家 磯田道史先生によると、

源氏物語は「天皇に配慮して

書かれたのでは?」という説も。

 

紫式部の才能を政治権力に

転換したのが道長

 

 

無名だった紫式部

出世できた理由は

近所に住んでいた超有力貴族

藤原道長の目に留まったから!?

 

 

   

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1000年ぶりに発見!

幻の巨大寺院の謎

なぜ道長は最大の

権力者となれたのか?

 

その謎は京都市

考古資料館で解き明かされる。

 

なぜ道長は最大の

権力者となれた?

手がかり①

道長が建てたお寺の瓦

 

藤原道長が1019年に建てた

お寺 法成寺の瓦。

 

その瓦は、緑釉瓦と呼ばれる

緑色の釉薬を塗ることで

鮮やかに発色する。

 

同志社女子大学特任教授

山田邦和先生によると、

天皇の宮殿や国家施設にしか

使われなかった貴重なもの。

 

道長の権力を示す瓦。

 

 

2021年には法成寺で

使われたであろう巨大礎石が

京都で発見!

 

法成寺の面積は

約1万7000坪くらいの大きさで、

当時 最大級の寺院だったみたい。

 

 

手がかり②

呪いの人形

 

さんによると、

平安時代は排除したい相手

呪うことがよくあった。

 

松島さんによると、

そもそも、京都のお寺の多くは

怨霊を鎮めるために建てられたとも。

 

 

   

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