今回は2024年11月29日放送の
世界の何だコレ!?
ミステリーを
振り返ってみます。
※書籍「その犬の名を誰も知らない」を元に作成
68年前の今日
南極の昭和基地開設
68年前、1957年1月29日は
南極にある日本の観測所
昭和基地 開設の日。
気象や生物などの
観測を行う場所で
有名になったのが、
タロとジロ。
南極観測隊に不測の事態が起き、
極寒の地に15頭のカラフト犬だけが
1年もの間、取り残された。
誰もが全滅を覚悟したが、
2頭の犬 タロとジロが
生きていたという
驚くべきニュースが日本中を
駆け巡った。
だが、この話には何十年もの間、
解明できない大きな謎があった。
タロとジロは当時2歳の幼い犬で、
15頭いたカラフト犬の中でも
経験が浅く、生存する可能性も
かなり低いと思われていた。
なぜ、タロとジロだけ
生き残れたのか?
謎の解明に挑み続けた
南極地域観測隊 元越冬隊員と
ジャーナリスト。
2人の犬に対する愛が、
驚きの真実を解き明かした。
1956年11月、東京から約14,000㎞
ほど離れた南極に日本初の
南極観測隊が向かった。
その目的は南極の気象と
生物の生態調査。
大量の物資や食料を運ぶため、
雪上車とは別に犬ゾリも準備され、
その中にいたのがタロとジロ。
第1次観測隊は任期を終え交代。
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犬たちは実力が認められ、
次の観測隊に引き継がれる。
だが、悪天候により、
第2次観測隊の到着が遅れ、
基地に係留した状態で
引き継ぐことになった。
第1次 南極観測隊 越冬隊
犬係だった北村さんは、
しっかりと首輪を閉め、
次の隊員が来るまでの食料を
犬たちの目の前に置き、
メス犬と生まれたばかりの
子犬を連れ、昭和基地を後にした。
天候はさらに悪化し、
第2次観測隊の到着が
難しい事態となり、
第2次隊の越冬を断念。
国民から大きな非難を
浴びながらも、犬たちは
そのままに日本へ帰還。
置き去りにされたのは
15頭のオス犬で、誰もが
全滅したと思っていた。
1958年11月、南極観測を再開。
北村さんは全滅しているであろう
犬たちの供養をしたいと、再び
越冬隊に参加して昭和基地へ。
そこで目にしたのは、元気な
タロとジロの姿。
捜索の結果、7頭は首輪に
繋がれたまま遺体で発見。
6頭は首輪を外し、行方不明。
生き残ったのはだけタロとジロで、
基地内に残されていた食料は
全く減っていなかった。
2018年、解明に向けて
北村さんが動き出した。
86歳になった北村さんの前に
当時新聞記者だった嘉悦さん。
目的はタロとジロの奇跡の生還の
60年目を記念した新聞記事を
書くための取材。
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その取材中に北村さんは
昭和基地で別の犬の遺体が
見つかっていたという。
発見されたのは、
7頭とは別の遺体。
北村さんが調べたところ、
その犬に関する名前などの
詳細がかかれた公式記録は
見つからず、発見時に首輪を
していなかったという情報から、
行方不明になている6頭のうちの
1頭と推測された。
見つけた犬用の検疫証明書などから、
犬ゾリ隊を率いるリーダー犬の
リキだとわかった。
それは、3つの食糧庫の存在を知り、
100㎞離れた場所へ行ける犬で、
他の犬にはない特殊能力を
持っていた。
見知らぬ南極の大雪原、
そこは数々の危険が潜む
恐ろしい場所で、
昭和基地には戻ってこられないと
北村さんは思っていたが、翌日に
リキが帰ってきたことが!
危険を察知し、回避する能力と
優れた方向感覚はリキだけの力。
リキならば、タロとジロを
守り続けられた!?北村さんは
そう考えた。
自然の脅威から2頭の命を
守りながら、大雪原を走り回り、
最後は必ず昭和基地を目指した。
そこで待って入ればきっと、
あの人は戻ってくる。
ともに白銀の南極を
駆け巡った北村さんが。
北村さんと別れたあの日、
リキはカラフト犬の
平均寿命を超えていた。
リキは北村さんと会う前に
生涯を閉じた。
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