今回は7月4日放送の幸せボンビーガール
生まれも育ちもずっと京王線沿線で
生粋の京王線っ子である貧乏時代を
乗り越えたスペシャルボンビーゲストを
を振り返りかえってみたいと思いますので
宜しくお願いしたいと思います。
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人気者になるまでずっと京王線沿線で
ずっとボンビー生活を行っていた
ゲストさんは現在バラエティ番組などに
出演していて、旦那さんもレギュラー番組8本の
売れっ子有名人なのだそうです。
ゲストさんの印象を街頭で聞いてみると、
できる女性 ズバズバとものを言うドS
と感じているようです。
そんなゲストさんが子供の頃に
暮らしていたのは、京王線 新宿駅から
特急5分の明大前にある2K風呂なしの
場所で母親と叔父(母親の弟)の
3人で暮らしていた。
未婚のシングルマザーで
保険のセールスレディをしながら
女手ひとつでゲストさんを育てるのは
大変だろうと叔父がサポート役になった。
その叔父の仕事は、演歌歌手で
スナックや営業を行っていた為、
ゲストさんには、芸能界というものを
身近に感じていたようです。
ゲストさんが6歳の頃、母親が
水道の配管職人の方と結婚!
家族3人の新居は府中市中河原
で、駅前にはスーパーが1軒だけで
駅を利用する人は、新聞の印刷工場
や食品工場で働く人の利用が多い。
中河原駅から徒歩5分、現在は
老朽化で立替中の都営団地
9号棟の6畳と4畳半の2Kの
一室に住んでいた。
駅から徒歩10分で多摩川。
暮らし始めて1年たった頃に、
ゲストさんが灰皿を割ってしまったのを
父親が身代わりになった事を
きっかけに本当の親子のような
関係になった。
ところが、過激な発言や男勝りの
一面を持つゲストさんは、高校2年生
の時に一人暮らしをしたいと感じる。
その意思を両親に伝えると
母親:(喧嘩が絶えなかった為)
好きにすれば、
父親:一人暮らしするなら一切
援助をしない。
といわれた。
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高校2年生の時、ゲストさんは
11年前までMY CITYの地下2階に
あったお店で現在は、小田急エースの
地下1階に移転したCOFFEE Negishiで
夕方5:30~夜9:00までの時給700円で
週3回働いて貯金は70万円あった。
そのお金で初台駅から徒歩7分の
場所にあった女性限定アパート、
4畳半で風呂なしの千羽荘で
家賃21,000円で一人暮らしをする。
現在、この場所には病院が
建っている。
学校に内緒で一人暮らしをしている
ゲストさんだったが、先生から
月2万円の授業料が払われていない
事実を知ることとなる。
そして、MY CITYにある
喫茶 ピッコロで平日、時給480円で
5:30分から夜9:00まで働き、
土日は時給700円で
朝10:00~夜9:00までバイトの
掛け持ちをし計8万円になった。
ところが、家賃 授業料 生活費
と生活はカツカツで、電気・ガス・水道
を止められ、1本当たり5円の仏壇用
ロウソクで冬は暖房代わりにするなど
明かりとして活用していたという。
お風呂は、バケツ2杯分のお湯を
沸かして、シルエットが外に見えないように
タオルや電気を消してから、
シンクの中に入り、バケツのお湯で
体を洗っていた日々があったそうだ。
昼食は、周りはお弁当が多い中
ゲストさんはひとりだけ、毎日のように
うまかめんなどのカップラーメンを
食べていたという。
それを見た友人は、カップラーメンばかり
食べていたゲストさんを見兼ねて、
たまにはカップラーメンが食べたいと言って
お弁当と交換していた事も!
ゲストさんが芸能界入りのきっかけになったのは、
原宿の竹下通りに友達の買い物に付き合って
いるとオスカープロモーションなどの
芸能事務所10社からスカウトがあった。
高校卒業後、芸能事務所に入り
和田アキ子さんの長者番組などの
数々のアシスタントに抜擢された。
ある日、テレビ局で注目されていた
芸能人と3ヵ月後に代田橋で同棲生活し
結婚した。
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そのゲストとは、太田光代さんで
旦那さんは、太田光さんだった。