今回は9月3日放送の
フルタチさん
日本の名家
教科書に載っていない
日本の歴史大調査を
振り返ってみたいと思います。
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栃木県では、
自分の名前が代々町の
名前になっている岡田家
を紹介した。
岡田家 26代目当主
岡田嘉右衛門さん。
初代 岡田嘉右衛門さんが江戸時代に
未開の地を約3万6000坪を開拓した。
この功績が、徳川家康が開いた
徳川幕府から認められ、当主の
名前が付いた、嘉右衛門新田村の
名をもらった。
現在では嘉右衛門町となり、
町内には現在の自宅、
昔の屋敷と別荘があり。
約420年間以上 町の名を
守る名家だった。
屋敷では、江戸時代初期に造った
門があり、幕末には代官職を
代行していたようだ。
江戸時代に代官として、13の村を
統括していて、悪人の取り締まりや
年貢の徴収などを行ったので、
火縄銃やさすまたが残されている。
蔵には、日本中の女性が憧れていた
大奥に岡田家から二人の娘が
入っていた記録が残されていた。
そこには、大奥での決まりごと
も書かれていた。
雑務係で10年間勤めなければいけない。
雑務係の着物は絹で、家紋はNG!
雑務係は給料はなく、お小遣いが
(お正月に)年1回。
金額は、現在の約3万円で
給料がなくても衣食住の
保障はされていた。
大奥のトップ(御年寄)の年収は
現在で言うと、年収約2000万円。
歴史研究家の河合敦先生の目を
特に引いたのが、大奥では
三味線 琴 長唄などの
なにか一芸が出ないとダメだった。
それは、大奥の偉い
奥女中とか側室とかに
素晴らしい芸を見せて、
楽しませる事を入る
条件にした。
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10代で大奥に入るのは
物凄いステータスで
有名女子大学に入る
ようなもので、礼儀作法
とか色々な事を教えてくれる
ので、大奥から戻って来たら
良縁に恵まれる。
奥女中法度と呼ばれる大奥での
出来事を外で話す事などは
禁じられていたので情報量が少ない。
江戸幕府8代将軍 徳川吉宗は、
目安箱を設置するなど享保の
改革を行ない、50人の美女を
リストラしていたという。
何故、美女50人がリストラの対象
になったかというと、美女は
良縁に恵ませる説や容姿が悪い
女性が好きだった説がある。
教科書に載っていない日本の歴史は、
岡田家のろうそくを見ると、来日中の
ペリーの一行がパンだけでなく、
お米も食べていた。
神奈川県では、
ういろうを600年以上作り続ける
外郎家を紹介。
外郎家 25代当主
外郎武さん。
ういろう は小田原にある外郎家が
作った食べ物。
ういろう本店では、八棟造りと呼ばれる
多数の棟を配置し、屋根を重ねる
伝統的建築様式で、代々この建て方を
守っている。
ういろう=外郎家が作った餅菓子
室町時代に足利義満のもと
幕府に使えていた外郎家。
外郎家 2代目は、海外の使節団との
外交担当となり、外交時の
もてなし菓子として作られた
のがはじまりで、当時は
高価な栄養剤だった黒糖と
米粉を合わせて蒸した
シンプルなお菓子。
室町時代から同じ
製法で作られている。
初演は、享保3年に
2代目市川團十郎さんが
創作したという歌舞伎演目
外郎売
教科書に載っていない日本の歴史は、
江戸時代の人気歌舞伎役者
市川團十郎さんが、喉の病気で
回っていた時、薬の外郎で回復した。
歌舞伎の大ヒット作 外郎売は、
外郎家の薬がきっかけで誕生した。
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滋賀県では、
甲賀忍術を340年
守り続ける渡辺家を紹介。
教科書に載っていない歴史として、
忍者はジンクスを重要視。
非常勤&急病人の代理人がいた。
黒装束ではなく、農作業着。
女忍者 くノ一はいない。
手裏剣は使っていない。
くないは穴を掘る道具。