今回は、11月12日放送の

ネーミングバラエティー

日本人のおなまえっ!

外国人の名字のギモン大調査!

振り返ってみたいと思います。

 

 

 

日本人でも答えられない

名字の素朴な疑問。

 

日本に住む外国人は、

280万人以上。

 

身近な外国人から答えに

給する質問をされてしまうかも?

 

 

日本在住5年以上の外国人150人に、

ギモンに思う名字と理由を

アンケートしていた。

 

 

前回分

 

 

一方で、この地域には

点なし冨田サマにまつわる

伝承もあった。

 

教えてくれたのは、

冨田守サマ。

 

 

冨田サマは富田サマの
分家だった!?

 

点なし冨田家の伝承によると、

分家の富田さんは、今年も米が

取れない事を本家の富田さんに

相談する。

 

田んぼが不作で役人に怒られたと

話すと、本家の富田さんが「富」

上の点を取ってみては?と提案。

 

点が無ければ、

違う文字にも見える。

 

こうして読みは大切な

トミタのまま、冨田は誕生!

 

これは見事な作戦だったと、

菅野サマはいう。

 

点なし冨田になった事で、

税に関する圧力から

逃れることが出来た。

 

この地域の冨田サマ、

点のありなしでピンチを

乗り切り、長い歴史を

生き抜いてきた

知恵の結晶だった。

 

 

   

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さいとうさんの一番大元に

なったのが、

 

 

 

 

何故、増えた?

 

「サイ」が増えた理由について

森岡先生は明治時代の戸籍制度が

キッカケで、日本は筆文化だった為、

書き癖や書き間違いなどで

増えたと見られる。

 

齋藤サマの由来は伊勢神宮で支えた

「齋宮」という役所に藤原サマが

仕えたから。

 

 

   

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フィリピン人 40代 男性

 

「東野」はトウノ?ヒガシノ?

 

ルーツの1つを茨城城郭研究会

五十嵐雄大サマによると、

始まりはトウノだという。

 

南北朝時代に遠野(トオノ)が、

現在の茨城県常陸大宮市あたりに

小瀬氏という一族が移り住んできた。

 

もともと、小瀬氏が住んでいた

土地から見て東側に遠野村が

あったので、「遠」「東」

漢字を当て、名字を「東野」に改めた。

 

戦国時代に北関東を支配していた

佐竹一族の内乱が起こり、兄の

佐竹義篤と弟の佐竹義元の当主の

座を巡る争いが!

 

トウノ氏は弟・佐竹義元に加勢。

 

義篤の思いも寄らぬ奇襲攻撃で

トウノ氏が仕えたは義元破れる。

 

敗れた東野(トウノ)一族は、

敵の追ってから逃げ回るのも

時間の問題。

 

敵を欺くため、農民の姿で

逃げていた所、発音で区別していた

時代なので読みを変えて

生き残りをはかった。

 

茨城県常陸大宮市に

残る言い伝え。

 

 

 

森岡先生によると、

全国的にはヒガシノが9割。

 

トウノからヒガシノ

変えたのは珍しいという。

 

 

阿部安倍安部阿倍

 

アベのルーツについて

森岡先生は奈良県桜井市がルーツ。

 

そこに住んだ昔の古い

一族がアベさん。

 

だが、先にアベという所があって

後から中国から漢字が入ってきて

当てたので、いろんな漢字を

当てるという。

 

阿倍が一番古いが一番少なく、

阿倍が一番新しいが一番多い。

 

 

   

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