3月30日に夜7時から、

さんまの東大方程式

第5弾

ニュースターも

母親も大集合SP

が放送されました。

 

今回も面白い内容だったので

振り返ってみたいと思います。

 

大津高志さんも河野玄斗さんも

またまた参加!

 

第5弾振り返りパート2!

 

 

   

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東大生183人が選ぶ

日本の偉人 天才ランキング

 

 

 

 

10位 杉田玄白

 

お医者さんのはずやのに、

暗号解読している

ようなのがスゴい。

 

鎖国してるんで外国の事

とかがあんまり入ってきてない

中で、カラダの構造を初めて

性格に日本人に伝えられた人。

 

 

杉田玄白さんは、

オランダ語で書かれた

当時、最先端の人体解剖の

医学書を4年の歳月をかけ、

日本語に翻訳した解体新書

で知られる。

 

主流は漢方薬を処方する

東洋医学だった日本は、

解体新書のおかげで

外科手術が普及した。

 

 

 

9位 清少納言

 

日々の小さな事柄にも幸せを

見出して描きまとめていった

初めての日本初のエッセイスト。

 

ネットがなかった時代に

書いているのがスゴい、

強い女性の原型、今でいう

マツコ・デラックスさん。

 

 

清少納言さんは、季節ごとの

風景を素直に書き綴った

枕草子は日本初の随筆作品。

 

この作品の中で冬の季節

になると、いきなり悪口が

出てくるのだという。

 

 

 

8位 関孝和

 

江戸時代の日本は鎖国中の中、

ヨーロッパで盛んだった数学を

ほぼ同レベルで研究してた

群馬を代表する偉人。

 

 

3つの数学の基礎を作った。

 

円周率

小数第11位まで計算。

 

小学生で習う足し算や

掛け算などの筆算を発明。

 

方程式で使うx,yなどに

置き換える代数の考え方を

世界で始めて考案した。

 

 

   

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7位 伊能忠敬

 

2人分の人生を生きた男。

 

商人として活躍し、30億位の

資産を持っていたとされ、50歳に

なって全ての地位と資産を投げ捨て

て、最終的に夢を追いかけ大成する。

 

50歳まで酒屋の商人として働き、

その後 測量家に転身した。

 

ペリーが黒船で来航した時、

伊能図を見て、あまりの正確さに

こんな技術を持ってる国やったら

すごい兵器も持ってるんちゃうか?

ってな感じで引き返したみたいな

話があるという。

 

大砲を持っていたペリー

帰ったことは、日本を救った

かもしれへん。。

 

 

 

6位 手塚治虫

 

 

 

5位 平賀源内

 

 

 

4位 夏目漱石

 

東大文学部史上最高の天才、

元々 教師をやっていて、

歴史や国語の教科書にも

載っている偉人。

 

今読んでも、明らかに新鮮で

色あせなくて、頭が良い上に

感性が豊かで誰も太刀打ち

できない未来にわたって

読まれていく小説。

 

 

我輩は猫である 坊ちゃん

など、誰もが知る作品の

作者で、こころの売り上げは

727万部、100年間で歴代No.1

 

私は鉛のような飯を食いました

という表現を、心が重い罪悪感の

ある時に食べる飯という。

 

心が重いと言えばいいのに、

天才的な比喩表現を使用している。

 

 

   

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3位 葛飾北斎

 

80何歳まで歩き回って

絵を描き続ける元気さがある。

 

何万点も描いてスゴい絵師として

大成したのに、それでも満足

いかず、あと5年や10年描きたかった

向上心がスゴいという。

 

 

富嶽三十六景は、富士山が

メインなので普通は手前に

大きく描く所、あえて小さく

遠く描いた斬新な構図が

特徴的で、自分の目の中に

カメラがあるような天才さ

があったそうだ。

 

 

 

 

2位 織田信長

 

鉄砲の導入、

キリスト教を保護する等、

当時は斬新で珍しい自作を

打ち出していたが特に、

楽市楽座を成立させたのが

スゴいと東大生は思っている。

 

 

 

1位 南方熊楠

 

20カ国以上の言語を操り、

ネイチャーに50以上の

論文を発表した、

大津さんのも推薦の一人。

 

36種類しか知られて

いなかった粘菌

70種類以上の新種を発見!

 

生態学 民俗学などの

広い分野でも多くの

功績を残している。

 

写真記憶という能力で

8歳の時、百科事典を記憶し

記憶を頼りに3年間で

100冊以上紙に

書き写したとされる偉人だった。