今回は2025年6月29日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
淡い緑色の広大な敷地
青い屋根と小さな茶色い屋根
衛星写真で見つけた群馬県の
ポツンと一軒家を目指す。
群馬県のポツンと一軒家を
目指し、最寄りの集落から
捜索開始。
正面の軽トラのドアが
開いているのを見つけて、
声をかけてみる。
ところが、その方は地元の
人ではないそうで、こっちがきっと、
地元だという人を連れて来てくれた。
衛星写真を見てもらうと、
ポツンと一軒家のあるじは
10年ほど前まで麓の町で酪農を
営んでいた60代の
コバヤシイッタさん。
山の上に広がる薄い緑色の
広大な土地は牛に食べさせる
草を育てる牧草地。
衛星写真に映る建物は、
その作業小屋だそうだ。
目指すポツンと一軒家が、
牧草地の作業小屋なのか
現地まで行って確かめたいが、
途中の林道で土砂崩れが
起きたため、車が通れないかも
しれないという。
道を聞いて、捜索再開。
行ける所まで、
行ってみることに。
すると、これより約6㎞先から
全面通行止という看板を発見。
通行止めの手前で辿り着けるのか
不安を抱きつつ、牧草地に
あるというポツンと一軒家を目指す。
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落石や倒木に行く手を阻まれ、
通行不能。
先ほど、ポツンと一軒家の
あるじの自宅の場所も聞いて
いたので、そちらに向かう。
自治会の会議を終えて
帰ってきたポツンと一軒家の
あるじ こばやしいったさん75歳。
群馬県と栃木県の県境にあった
江戸幕府直轄の銅鉱山、足尾銅山。
採掘された銅は、
寛永通宝の鋳造にも使われた。
銅山の西側一帯の山林に多くの
労働者とその家族が住みつき、
採掘した鉱石を加熱して銅を
抽出する製錬の燃料に必要な
木材を切りだしていた。
だが、昭和48年に足尾銅山が
閉山し、木材の需要が激減。
職を失った労働者は
家族を連れて、麓へ移住。
住む人がいなくなり、
借りて牧草地にした。
ご飯を食べたり、弁当を
持って行ったりするために、
空き家を休憩所に利用した。
3年前まで酪農を営んでいた
こばやしさん夫婦を訪ねた
一週間後、前回 倒木に道を
塞がれ、捜索を断念した
ポツンと一軒家へ再び、
向かった。
倒木で行けなかった所を
整備してもらった。
その先も、落ち葉で道が
塞がれていたり、崖道に
気をつけながら進み、
ポツンと一軒家に辿り着いた。
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牧草地の敷地面積は、
東京ドーム約5個分の20町(20ha)。
今も1年に1回はやまにならないよう、
牧草刈りをしている。
ここはかつて、足尾銅山の製錬用の
燃料となる木材を山から切り出す
仕事をしていた人たちの家族が
畑で野菜を育てながら、
暮していた元集落。
元々、民家が7軒あったが、
今も残っているのは1軒だけ。
3年前に酪農を廃業。
もう牧草は必要ないが、
牧草地が荒れてしまわないように
今も年に一度、草刈りを続けている。
いったさんはこの部落の中にある
小中学校に行って、高校は
沼田市に行った。
卒業後は北海道の
酪農学園短大に2年行った。
20歳まで北海道にいた後は、
実家の酪農を継承。
隣村でこばやし家と同じ
酪農を営んでいた家に
生まれていた奥さん。
3人きょうだいの長女で、
高校卒業後は実家の酪農の
仕事を手伝っていた。
26歳の時に親の仕事の関係で
元々、顔見知りだった
7つ年上のいったさんと結婚。
12年後、長男が誕生したが、
継がない。
いったさんの曽祖父が残した
家系記録には、農業で一家の
生計を立てる事がこばやし家が
守るべき家憲として記されていた。
いったさんの代で終わるから、
少しは寂しい気持ちはあるけれど、
仕方ない事だと思ってるという。
牧草地は貸しますよとは
言っているので、誰かに
使ってもらうのが一番いい。
ダメならば仕方ないから、
林に戻すそうです。
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