今回は、9月9日放送の
関ジャム 完全燃SHOW
を振り返っていきたいと
思いますので宜しく
お願い致します。
安室奈美恵さんが大スターと
なったのが1990年代で、
TRF globe 鈴木亜美
華原朋美などのヒット曲を
手がけた小室哲哉さん。
そんなTKサウンドの秘密とは?
90年代カルチャーとTKブレイクの
関係を解明する。
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映画監督の大根仁さんは、
小室哲哉さんが音楽を担当した映画
SUNNY 強い気持ち・強い愛を手掛けた。
ポルノグラフィティ、いきものがかり
平井堅、牧原敬之などの曲を手掛ける
音楽プロデューサーの本間昭光さん。
小室哲哉さんのレコーディングを
多数担当するレコーディングエンジニアの
伊東俊郎さんの3人が解明する。
本間さんは、”音楽プロデューサー”
という仕事を一般的に広めたのは、
小室哲哉さんと小林武史の2大TKの
功績がなければ、認知される事は
なかったという。
1990年代の初期はバブル景気で、
’91年にジュリアナ東京がオープン、
’92年にきんさんぎんさんブーム、
’93年にはJリーグが開幕した。
ところがバブルの崩壊して、
’80年代から高騰していた株価や
地価が、’91年~’93年頃に
急落し、景気が後退した。
’94年には、プレイステーションが
発売されたが、音楽業界では、
小室プロデュースのTRFが、
survival dAnce~no no cry more~で、
94年初のミリオンヒットに!
以降、5作連続で
ミリオンヒットを記録。
※オリコン調べ
そして同じ時期に、当時21歳の
篠原涼子さんが大ブレイクの
きっかけとなった、
恋しさと せつなさと 心強さとが、
小室プロデュース初のダブルミリオン
達成でTKサウンドがブームとなる。
そんな当時のTKサウンドのヒミツは、
女子高生を中心に広まった
カラオケと大きな関係があるという。
大根さんによると90年代は
カラオケ時代で、その教祖は
小室さんだという。
カラオケは80年代くらいからあった
けれども、カラオケスナックが主流で、
皆の前で歌うものだったが、80年代後半
からカラオケBOXが出来て、90年代に
カラオケBOXがメジャーになった。
カラオケブームで誰もが
歌える曲が人気となる。
本間さんによると、みんなで
ノレル1番の転換期だった
と思うと話す。
わかりやすい言葉のリフレインと
わかりやすさを持ち込んだのが
小室さんの功績により、カラオケ文化が
より一層浸透したんじゃないかと分析。
また、キーが高い事で必死に
高音を歌うと歌手本人のような
気持ちになれる。
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小室さんの指示でカラオケで
恋しさと せつなさと 心強さが、
初めて本人の歌唱映像が
流れるようになった!?
それまではカラオケに対して、
映像を作っていた。
ところがMusic Videoが
主流になってから、本人の
PVを流せば一番良いんじゃないか?
一緒に歌っている気分に
なれると大根さん。
当時、本人映像は演歌などではあったが、
J-POPではなかったと言われる。
ありそうでなかった発想!!
シンガーの声の特徴に合わせる。
高いキーが多い、TKサウンド
に関して小室さんは、歌手の
魅力を生かすためだった。
本間さんによると、今までは
楽曲ありきだったが、
小室さんのやり方は、まず、
その人の質を分かって、限界の
音の方が伝えやすい言葉を
狙うべきか?それよりちょっと
下の方が良いのかというのを
ちゃんと分析して、その人の声に
あった所で楽曲を提示する方法で
意外とないものだったと話す。
本間&伊東分析!
小室さんの新アイデアを
取り入れる量がスゴいという。
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