今回は、祝2019

家、ついて行ってイイですか?

LIVEを振り返ります。

 

終電後の恵比寿駅で、太陽みたいに

明るくなれるSUNファミリー

飲んでいたというさおりさん26歳と

りささん29歳の姉妹と交渉成立。

 

りささんは最初、製薬会社の

営業職から転職して寿司職人に!

 

さおりさんは現在、スタイリスト

をしているという。

 

1回はお父さんとお母さんに

就職しなさいと言われた

さおりさんは、MR(薬品営業)の

会社に2年間働いてから

スタイリストになったという。

 

引っ越し前で、段ボールだらけ。

 

1LDK 家賃 130,000円の築20年

 

今週、この家を出るので

新しい家に来て欲しかった…。

 

 

   

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たなべ家STYLE1

引っ越し4日前でも

全然片付いていない

 

前日に徹夜でやるもんじゃ

ないですか?

 

 

たなべ家STYLE2

冷蔵庫にココナッツオイルが

沢山ある

 

朝に飲むんですよお母さんが

体に良いって。

 

これをやって、大麦若葉を入れて

かき混ぜると、脂肪がくっつき

にくくなるという。

 

 

たなべ家STYLE3

寿司職人時代の包丁

 

親方が、辞める時に

包丁くれたんですよ。

 

 

たなべ家STYLE4

姉は元ギャル寿司職人

 

あの時は、まつエクどうしても

やめられなくて、めっちゃ

怒られていて、坊主にしろっ

ずっと親方に言われていたそうだ。

 

めっちゃ芸能人が来る所

だったそうだ。

 

西麻布のお寿司屋さんの

弟子入りした。

 

りささんは、海外で働きたいと

思ってて、技術を身につけて

世界中で働けるようになりたいと

ネットで検索。

 

親方が1人でやってる店なら

2番になれて、なるべく早く

握れると思い、せっかくだから

高級店で良い技術を学ぶ事に。

 

 

たなべ家STYLE5

別々に住んでも同じ駅

 

 

 

たなべ家STYLE6

妹はCanCamのスタイリスト

 

独立して、ページ担当。

 

さおりさんは元々、ファッションに

興味があって、めっちゃCanCam

好きで、1ページ、1ページ読み込む

位大好きで関わりたいと思った。

 

そこで、アシスタント読者モデル

応募できる所があって1回応募し、

そこから読者モにデビュー。

 

 

たなべ家STYLE7

妹は元CanCamの読モ

 

ライターの人が働いているのを

見たら、私もそっち側に行きたい

と思うようになり、編集部で

アルバイトして、最初はお茶汲み

とかコピーをしていたという。

 

そこから私はやっぱり、服が

好きだからスタイリストに

なろうと決めたようだ。

 

 

たなべ家STYLE8

テラスハウスに出るのが

夢だった

 

ミーハーやからめちゃくちゃ

楽しそうやなぁ~って夢見

とったから、あかんかった時

はぁ…となったという。

 

 

   

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お父さんが3年前にがん

亡くなって余命半年だった。

 

脳のがんで、子ども返りや

自分の事が自分で出来なく

なってしまったそうで、

は大阪で介護。

 

は、東京でMRをしていて、

介護休暇がとれ、半年間お願いして

休ませて頂いて、実家で介護休暇を

3か月ぐらい取った後、も3か月

介護休暇をとった。

 

お父さんはタバコがめっちゃ好きで、

吸いたかったけど吸い方がわからなく

なっちゃって。ライターのオイルを

手にかけて火傷してしまう。

 

一時は手術して良くなって退院。

 

通院して定期的にリハビリを

していたが、また悪くなり入院。

 

でも最後は家で看取りたいと

家に戻ったという。

 

パパは、ひとりぼっちでいるのが

寂しかったから、入院している間も

ずっと交代でお泊りして1日も

ひとりにしなかったそうです。

 

今思うと大変だったけど、

闘病生活よりは楽しかった、

パパと一緒に入れたしと

姉妹は語る。

 

1番辛かったのは、パパ

病気になったと知った時。

 

それまでずっと、普通だったのに

喋り方も変わって、賢いパパ

プライドも高かったが、面白いし

優しい人でした。

 

そんなパパに普通に話す事が

二度と出来ないんだって気付いた

瞬間は一番辛かったという。

 

思い出したら、めっちゃ

涙が出てくる。

 

かなり有名な航空会社で

総合職をしていた

CAだった

 

は15歳差で、

ミス大阪とか出た位可愛かった。

 

パパはデブのモグラおやじ

みたいだった。

 

そんな訳で姉もCAに。

 

最後にみんなで台湾に

家族旅行に行った。

 

その時、お前も、

ああなって欲しかったな

とも言われていた。

 

 

パパのおかげでこうやって、

色々挑戦できるからよかった。

 

さおり芸能人と働いていると

思ったらFacebookとかに

アップしてそう。

 

CanCamに初めて載った時も、

パパFacebookで拡散してた。

 

タナベ魂を大事に、

プライドを持って生きよう

 

小さい頃から言われてたんで

介護する時もTシャツを作って

それを着て介護した。

 

さおりさんに手紙を書いた

2か月後に病気がわかった…

 

会いたい、

今やったら、いっぱい

パパの事 喜ばせてあげられると

思うと思いを明かしてくれた。

 

 

   

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