今回は4月4日放送の

ビーバップ!ハイヒール

関西の教会

に秘められた壮大な物語

の回を振り返って

みたいと思います。

 

 

そんな関西の教会に秘められた

物語を教えてくれるのは、

クリスチャン美術家 鈴木元彦先生。

 

 

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鈴木 元彦
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牧師の息子として生まれ、

書籍だけでなく

教会堂建築にも携わる。

 

鈴木先生は、

教会は日本人にとって、

あまり馴染みがないかも

しれませんが、実は

壮大なドラマが秘められて

いるという。

 

 

   

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前回分

 

 

京都・中京区にある

京都ハリストス正教会

(京都生神女福音大聖堂)。

 

正教会とは、キリスト教派の

ひとつで、江戸時代末期に

ロシアから日本に伝わっていた。

 

教会の中で目を引くのが、

聖人・聖書の物語を描いた、

イコン(聖像)と呼ばれる

文字を読めない人々に

分かるよう聖書の内容を

描いた正教会特有の油彩画。

 

しかし、そのイコン

よく見てみると、所々に

彩色が剥がれていたり、

傷跡が残っている。

 

その傷には、

京都ハリストス正教会

が歩んだ苦難の歴史が

隠されているそうです。

 

 

日本古来の思想が集まる

京都に大聖堂を建てよう

正教会を布教しに1890年代

にやってきた聖ニコライは、

1903年に京都ハリストス正教会

建立させていたそうだ。

 

しかし、その翌年に

日露戦争の勃発で

日本国内では、敵国

ロシアの建物を排斥

しようとする動きがあった。

 

日本の目の敵にされた

ハリストス正教会だったが、

ニコライは必死に守り抜く。

 

ニコライの死後、1941年には

太平洋戦争が勃発し、日本軍が

武器を造るための材料として、

教会にあった7つの鐘を

奪い取られてしまう。

 

さらに、アメリカ軍による

京都への大空襲も迫り、

ニコライが守ったイコンだけは

絶対守らなければと、信徒

戦火から守り抜くため

分解したという。

 

イコンの傷跡は、

その時についたもので、

戦火を潜り抜けてきた

証とされている。

 

 

   

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奈良の観光名所である

奈良公園のすぐそばに建つ

キリスト教会堂

奈良基督教会の室内は

和風の内装。

 

平安時代の伝統的な建築である

小組格天井檜で作られた祭壇

教会なのに和風というと、

そこにはある男の決断が

関係している。

 

 

奈良基督教会は1887年に

奈良公園から少し離れた

場所に最初の教会堂を

建立され、信者が増えて

きたので奈良公園のそばに

新たな教会堂を建立しよう

いたが、奈良県は奈良公園の

隣接地には和風の建物しか

建ててはいけないと

特別条例が出て、計画は

中止に追い込まれてしまう。

 

 

   

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計画は中止せざるえない。

 

新たなる教会の建築を手掛ける

予定だった宮大工の大木吉太郎は、

条例を逆手に取り、教会を和風に

する事を提案したという。

 

使われている建築資材は、

奈良・吉野の檜で2年がかりで

建てられたこの教会は、

隅から隅まで和風で西洋を

感じさせる所はどこにも

なかったそうです。

 

祭壇の十字架のデザインは、

正倉院の宝飾鏡をモチーフにし、

生成技法は、日本伝統の

「七宝焼き」でつくられた。

出典:宮内庁ホームページ
(http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Treasure?id=0000014638)

 

キリスト教徒だった大木さんは、

イエスへの厚い信仰を十字架に

表していた。

 

 

   

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