今回は9月1日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
南西部の山の谷間
L字型で赤い屋根
別棟が
道路も確認できない
衛星写真で見つけた石川県の
ポツンと一軒家を目指し
最寄りの集落から捜索開始。
正面に集落を発見、
神社の左側に団子屋さんで
ポツンと一軒家について
聞いてみるがわからず。
するとそこへ偶然やってきた
町内会長に聞いてみると、
目指ポツンと一軒家がわかると
即答していた。
町内会長さんによると、
ポツンと一軒家の主は
モリグチシンイチさんで
そこはワガタボンという
素朴なお盆を作っている
工房らしい。
捜索を再開し、
冬期間通行止めの看板の道を
上がっていく。
冬に降った雪の重みで
倒れたのか、道の脇の
斜面に倒木が散乱している。
その道をさらに上ると
ポツンと一軒家に到着。
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だが、こんな山奥の
家の前に車が4台も
止まっている。
家から女の人が2人
出て来て、男の人も
出て来た。
捜索隊が来るのを予感していた
様子のこの男性こそが、
ポツンと一軒家の主
モリグチシンイチさん67歳。
モリグチさんは元々、
京都の人でワガタボンというのを
ここで作っていて、金沢とかから
塾生が来るのだという。
ワガタボンというのは
石川県の民芸というか
工芸品で、それを京都で
やっていても伝えられへんので
2016年にこっちに通いだした
モリグチさんが石川県の人に
教えているという。
金沢から来た女性2人に話を
聞いてみると、塾生は30人位で
骨董の世界では幻のワガタボンって
言われていたのを作っている人が
いるっていうのに興味を持ち
教わりに来たようだ。
モリグチさんは3年前から
自宅のある京都からこの
工房に通い、創作活動の傍ら
地元の人たちに無料で
ワガタボンの作り方を
指導している。
我谷盆はひとつひとつが
手作りの素朴な木のお盆。
工房がある山の麓の
我谷村で板屋根職人が
冬場に作っていた
ワガタボン。
そのワガタボン発祥の村は
昭和33年に建設がはじまった
ダムの底に沈んだ。
時代とともに
板屋根職人も減り、
幻のお盆に。
我谷盆を後世に残す為
作り方を教えている。
昔、北屋根職人がやっていたのと
同じやり方で、栗の木の丸太に
楔を打ち、板を切り出す
ことからはじまる。
まず、鉄の楔を5本
一直線に打ち込むと、
最後に長い木の楔を追って
丸太を割る。
割った板を電気カンナで
削って平らな板に仕上げると、
板の四方に掘る目印となる
線を引いていく。
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モリグチさんは5年前に
脳梗塞を発症し、その後遺症で
右手に麻痺が残ってしまった。
利き腕の右手に障害が残るが、
木槌を力強く振り下ろして、
のみを打ち、板を彫る。
右手の指は動かず、握力も
ほとんどないそうだが、
木槌を握ると不思議と
のみを打つことができるという。
彫り方が伝統的な我谷盆の
彫り方なのか僕も分からないが、
古い我谷盆をみて自分なり
に勉強してきたと語る。
19年前に始めた当初は、
うまく彫れず苦労したが、
毎月 約40枚仕上げ、
民芸品店や個展で販売している。
モリグチさんの出身は北海道で
育ちは四国、その後 小学校6年で
大阪に出てきて高校も中学も
大阪で暮していたそうだ。
そして京都芸大の彫刻科に入って、
卒業後は高校の美術の非常勤講師
をして、東映太秦映画村のセットを
作る美術会社へ。
30歳で独立し、京都に工房を構え、
漆塗りの木工品を製作・販売
していたが、知り合いに作った物が
我谷盆に似ているといわれ、
調べる為に山の中へ来だしていた。
3年前、我谷村が沈んだダムから
直線距離で1㎞ほどの場所にあった
山奥の空き家を借りて工房を開いた。
ポツンと一軒家があるのは、
10年前、廃村になった消滅集落で、
かつては約30軒ほど家があった。
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