今回は7月19日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

あの家は今・・・?

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

家の周囲に広い棚田

衛星写真で見つけた新潟県佐渡島の

ポツンと一軒家を目指した回。

 

 

 

 

ポツンと一軒家の主は、

タカノタケシさん74歳(当時)

 

空き家ではなく、取材に応じてもらい、

缶コーヒーなどで出迎えてくれる。

 

この家はタカノさんの生家で、

今は誰も住んでいないそうだ。

 

平成元年まで両親が住んでいたそうだが、

父親が病気になって、麓に下ろしたという。

 

かつて山が崩れてできたという

傾斜地に造った棚田はタカノさんが、

亡父から受け継ぎ1人で管理している。

 

そこで、亡父が昭和6年に田んぼに

朱鷺が27羽降り立ち、餌を食べて

飛び立って行く時に辺り一面、

朱鷺が飛びあがる時に裏羽が

奇麗だから牡丹の花が咲いた

ようだったと感じた。

 

朱鷺の世話をしていた

タカノさんの亡父

 

おたまじゃくしやカエル・田螺など、

田んぼに生息する生き物が大好物の

朱鷺にとって棚田は餌場。

 

深い森の奥にあったタカノ家の棚田は、

絶滅した日本生まれの朱鷺が最後まで

餌を食べにきた場所だったという。

 

タカノさんのお父さんは、戦地に赴く

出兵前日の昭和14年 第1回の応召で、

中国へ出兵する赤紙が来た時。

 

自分が戦地に行けば生きて帰る事は

ないだろうと、自分の生まれた故郷を

1日くまなく歩いて、思い残すことなく

戦地に向かいたいという思いだった。

 

夕方、田んぼに来た時に白いものが

見えたので駆け寄ると、朱鷺が

横たわっていたので救い上げて

家に帰って介抱しようと思った矢先に

自分の腕の中で亡くなったという

亡父と朱鷺には、運命的な出来事が!

 

出生する時に自分の身代わりに

なってくれたという思いがあり、

戦地へ向かったそうだ。

 

戦地では肩を負傷するも生還し、

朱鷺が身代わりになってくれたと

感じたおさんはその恩返しに、

佐渡トキ保護センターの

飼育員になった。

 

また、子供たちにも朱鷺の

生態学習を行い、朱鷺のおじさん

慕われたそうだ。

 

日本種 最後の朱鷺 キン

2003年に亡くなったが、

佐渡トキ保護センターで

中国産朱鷺の人工繁殖に成功。

 

現在では、約350羽の

朱鷺が生育している。

 

タカノさんは生前、から

田んぼは朱鷺の餌場として

残してあるからしっかり

見守るように言われて

管理している。

 

タカノさんは、

二代目 朱鷺のおじさん

として活躍されている。

 

 

   

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放送から2年…

 

タカノさんは元気に

やっているという。

 

放送後、東京から来る人もおったし、

「どうやって行ったらいい?」

っていう人たちも来たそうです。

 

最近はコロナの関係で子供たちの

体験学習とか、活動は中止になったり、

延期になったりしている。

 

二代目 朱鷺のおじさんとしては

活動できていないが、個人的に

山の上に上がって

作業はしているという。

 

そして既に、8月と9月の予約が

入っているんだとか。

 

早く子供たち一緒に活動したい

というタカノさん。

 

以前よりも朱鷺の数は増えて、

全体的には407、8羽いる!

 

5月には放鳥があったが、

コロナの関係で中止になって

しまったので、9月に放鳥の

計画をしている。

 

 

   

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