今回は2月14日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

広く切り拓かれた敷地

大きな棚田か段々畑か

果樹園らしき場所が

衛星写真で見つけた熊本県の

阿蘇山の東側にある

ポツンと一軒家を目指し

最寄りの集落から捜索を開始。

 

 

集落に到着すると、住人発見。

 

最初に見つけたのは

さんだったが、

入れ替わりで出て来た

さんが話を聞いてくれた。

 

衛星写真を見てから、この辺りで

ポツンと一軒家といえるのは

ここしかないとキッパリ言われる。

 

さんによると、

ふたごいしあきらさん80歳が

夫婦で暮しているという。

 

さんは地域の耕作状況を調べる

農地パトロールの調査員をしているので

この辺の土地には詳しいそうだ。

 

軽トラで案内してくれる事になり、

県道から右の脇道に入り、左へ。

 

二子石産業という看板を

通過したりして、

ポツンと一軒家に到着。

 

 

 

 

案内してくれたおさんが

住人に声を掛けてくれていた。

 

ちょうど、夫婦で家の前に

薄くなった大根を干して

切り干し大根を作っている

最中だったようだ。

 

道案内してくれた

優しいおさんと分かれる。

 

 

ポツンと一軒家あるじは、

ふたごいしあきらさん82歳

ふたごいしつやこさん77歳。

 

会社の敷地 兼 自宅。

 

 

   

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標高800mの山を切り開いて作った

段々畑は夏場にキャベツを栽培する

ための畑で、冬場は気温が低すぎて

キャベツが育たないため、約50㎞

離れた平地の畑で育てているという。

 

その畑は、広範囲に分かれていて

30ヵ所程あり、全部合わせると

20ヘクタール以上ある。

 

「自分の時代で農業は終わりだろう」

と、思っていたあきらさんだったが、

長男が会社を立ち上げて農業を

しているようです。

 

 

今から71年前 終戦後、中国から

故郷の熊本に引き揚げて来た

あきらさんの父親がこの山を

開拓して家を建て、夫婦

子ども4人の一家6人で

暮し始めたそうだ。

 

 

日本が中国に進出していた

大正から昭和初期にかけて、

多くの日本人が中国に渡って

暮していた。

 

あきらさんの父親も水力発電の

電気技師として大連に赴任して

働いていた。

 

昭和20年、一家6人で帰国する。

 

あきらさんの父親の話によると、

勤めが人に使われるのが嫌で、

「将来、これから日本は農業だろう」

と、ここに入植したしたという。

 

 

当時は食糧難で、食べる事が優先。

 

穀物トウモロコシ大豆

小豆大麦小麦などで

最初、始まった。

 

 

   

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あきらさんが中学を卒業してから、

キャベツという作物に取り憑かれる。

 

頭からキャベツが離れない位、

キャベツの虜になった。

 

それは最初、キャベツを作って

食べたら美味しかったから!

 

親と相談し、畑をキャベツに

植え替え、キャベツ農家に転身。

 

以来、キャベツ一筋。

 

あきらさんが25歳で

さんが20歳の

昭和35年に結婚。

 

 

5人兄弟だったあきらさんが

夫婦で農家を継いだ。

 

麓の集落で増えてきた

耕作放棄地を借りるなどして

キャベツ畑を増やしながら

山奥のポツンと一軒家

離れることなく、男の子2人と

女の子2人の4人の子どもを

育て上げた。

 

 

夏場は暑くて、苗が育ちにくいため、

標高が高く涼しい山の上で苗を

育ててから、麓の畑に植え替える。

 

成長した苗を植えるのは、

ポツンと一軒家から50㎞ほど

離れた麓のキャベツ畑まで

車で片道1時間以上かけて向かう。

 

3ヘクタール以上ある畑一面に

およそ10万玉、120㌧もの

出荷量になるが、これはほんの一部。

 

 

 

 

全部で20ヘクタールにも及ぶ

広大な畑で年間1600㌧もの

キャベツを収穫している。

 

 

   

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