今回は5月30日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

赤い屋根と青い屋根

森に埋もれた立地

衛星写真で見つけた兵庫県淡路島の

ポツンと一軒家を目指し

最寄りの集落から捜索を開始。

 

最寄りの集落に到着すると、

通りかかった畑で作業する

人達を見つける。

 

ご親切に作業の手を止めて

わざわざこちらに来てくれた

さんがいた。

 

温暖な瀬戸内海気候で

日照時間が長く、玉ねぎ栽培に

適した日本有数の産地。

 

淡路島産の玉ねぎは、土壌に

海のミネラル成分が豊富に含まれ、

一般的な玉ねぎより、

糖度が高くて柔らかい!

 

 

さんに衛星写真を見てもらうと、

目指すポツンと一軒家が建つのは

元々、別荘地として開発された場所で、

大阪方面から移住してきた赤い車に乗る

70代の男性が1人で住んでいるらしいと

いう情報をGET。

 

でも、名前が分からないと、

ある民家に入っていく。

 

そこのおさんによって、

ふくださんということが判明。

 

さんは玉ねぎ畑の持ち主で、

場所を聞いたおさんはご近所さんで

たまたま玉ねぎの収穫を手伝っていた。

 

さんに玉ねぎを頂き、捜索再開。

 

 

   

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温泉スタンドに立ち寄りながら、

急勾配の山道を上がって行くと

ポツンと一軒家に辿り着いたが、

空き家。

 

 

 

 

 

捜索隊が目指したポツンと一軒家

完璧にここだが、麓の方達が

言っていたのはここではないので、

ふくださんが住む家を捜索。

 

空き家から500m離れた山の中に

ポツンと一軒家を見つけると、

住んでいたのはふくださんだった。

 

ポツンと一軒家あるじは、

ふくだきよしさん82歳で

周辺の管理と清掃も行っている。

 

元々は別荘として、45、6年前に

設計士きよしさんとで建てた。

 

 

バブル景気で湧く、1970年代後半。

 

リゾート開発が盛んに行われ始めた

頃に80坪を購入した。

 

兵庫県伊丹市で兄弟

アルミ鋳造工場を

経営していたふくださんは、

トンネルのジェットファンから

羽釜まで、あらゆる工業製品を

作っていたが、きよしさんが

58歳でが62歳だった平成9年に

事業を清算し、24年前に淡路島の

別荘に移住。

 

 

淡路島は温暖で過ごしやすいが、

年間を通して雨が少ない上、

大きな河川も少なく、昔から

水不足が問題になっていた。

 

だが、1998年に明石海峡大橋が

開通すると、神戸からの

送水管によって水不足が解消される。

 

ふくだ家の水は20日に1回の給水車が

頼みの綱だが、日々の炊事などに

困ることはないという。

 

 

   

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休暇を楽しむために建てた別荘

だったが、ふくださんの一番の

お気に入りは、角に柱がなく

全開放できる窓から出られる

デッキテラスから見られる絶景。

 

仕事をリタイヤする前は、

家族親戚、大勢の仲間たちが

集まってBBQを楽しみ、

露天風呂もある。

 

72歳で始めた西国三十三所巡礼は、

近畿2府4県と岐阜県に点在する

三十三個所の霊場を参拝する

日本最古の観音巡礼。

 

その総距離は、約1,000㎞に及ぶ。

 

巡礼した回数で与えられる

称号、千達

 

8階級ある千達の最上位の

特任大千達ふくださんは

持っている。

 

それは、34回巡礼で与えられる。

 

それをふくださんが始めた

きっかけはの死だった。

 

戦前は尼崎市で生活し、

きよしさんは2人、

4人の6人兄弟の

次男として誕生。

 

戦後、疎開先から一家で

大阪に移住。

 

鋳物職人だったの技術を生かし、

親子3人でアルミ鋳物会社を設立。

 

の死後も兄弟で会社を経営。

 

12年前にが他界。

 

自身も7年前にガンを患い、

手術をしたと言う。

 

数年前に、法名と遺影を準備。

 

最後に人に迷惑を掛けないために、

終活を始めたそうだが、築45年経つ

家の今後を心配している。

 

 

   

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