今回は7月5日放送の

激レアさんを連れてきた。

大ヒット曲「孫」のあの孫

を振り返ってみたいと思います。

 

 

父方の祖父大泉逸郎さんの

シンタロウさんが、今回の

激レアさん

 

逸郎さんが57歳だった時の

1999年にリリースした『孫』 

 

当時はまだ、全国区ではなかった

演歌歌手で、初孫の誕生が嬉しすぎて

自主制作で売り出すと、地元 山形からの

口コミで広がり、オリコンの週間ランキングで

B’z今夜月の見える丘にを抑え、

3位にランクイン。

 

長きにわたり、国民に愛されて

通算230万枚以上のセールスを記録!

 

シンタロウさんが4歳の時に

逸郎さんがメジャーデビュー

になっているが、生まれて3日目には

歌を作りたいと言って作り、近所

親戚に配っていたらしい。

 

 

ある日突然、日本一有名なになった

シンタロウさん、幸せいっぱいの

人生のはずが…

 

生活が激変した5歳。

 

 

   

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第一章 孫、もてはやされる

(5才~9才)

 

孫バブル到来

①建設費1億円の孫御殿

 

トイレが5個、ガレージは

車5台分入れる。

 

のどかな山形県に突如として現れた

孫御殿は、勝手に観光バスツアーの

コースにされていた。

 

 

②”山形県 孫様”の

ファンレターが届く

 

当時は住所が無くても届き、

多い時は1日に200通の手紙が

来ていた。

 

その中には、シンタロウさんへの

手紙もあったそうで、お正月には

お年玉を頂いたというと、ゲストの

カズレーザーさんがちゃんと納税を

したのか気にしていた。

 

 

②学校で逸郎の活躍上映会

 

小学生になっても孫バブルは続き、

道徳の授業で大泉逸郎が題材に

なっている道徳の教材があり、

それのつながりで担任

ビデオを持って来てみていた。

 

その時は自慢のおじいちゃんだった

というシンタロウさん。

 

4年続いた孫バブル、それは

2000年に『孫びいき』

2002年には、女の子の孫はいないのに

『孫 女の子バージョン』と、全然

孫離れしていなかった。

 

 

   

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第二章 孫、愛が不信感に変わる

(10才~12才)

 

小5の思春期に起きた孫事件

①逸郎、バラエティ番組に進出

 

その結果、逸郎さんが番組で

イジられて、もイジられる。

 

ダウンタウン浜田さんと

共演した時、浜田さんは

逸郎さんに「どんだけ孫のこと

好きやねん!」という場面が!

 

次の日、シンタロウさんが

学校で、「どんだけじいちゃんに

好かれてんねん!」と、イジられ

恥ずかしくなったという。

 

 

②知らん人が作詞してた

 

作詞は荒木良治さんで、

おじいちゃんが

考えていなかった…?

 

お茶飲み仲間だった荒木さん。

 

元々、作詞が苦手だった

おじいちゃんが作詞を

お願いしてもらっていて、

当時のシンタロウさんには

理解できなかったそうだ。

 

ずっと、シンタロウくんの

ための曲だと言われてきたが、

よく見たら誰にでも当てはまり、

不信感が…

 

 

③孫と祖父 初めてのケンカ

 

原因は1本のホース。

 

学校に行く時にちょっと急いでいた

シンタロウさんが玄関の扉を

開けようとしたら、水を引いてた

ホースが玄関の扉の前にあって

開けることが出来なかった。

 

急いでるのに扉が開かないと

騒いでいたら、「お前だけが

中心じゃないんだ、

そんな大声出すな」と、言われ

ムッとしたシンタロウさんは、

8年間ほぼ口をきかなくなる。

 

 

シンタロウさんが6年生だった

2007年のある日、逸郎さんが

『孫も大きくなりました』

をリリースし、率直に

ふざけんなよ~と、思ったそうだ。

 

 

 

第三章 孫、生まれ変わる!

(13才~18才)

 

市内にある都会の中学校を受験し、

合格したシンタロウさん。

 

知り合いが全くいない中学校に、

電車で片道1時間かけて通学し、

とは無縁の中学デビューを

するつもりだった。

 

ところが、背後から

「君って…孫だよね?」

と、声をかけられる。

 

3年間引きずり、教室の片隅で

ほぼ空気のように過ごす

中学校生活を送っていた。

 

 

   

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