今回は8月1日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

森に埋もれた敷地

青色と茶色の屋根

道は確認できない

衛星写真で見つけた

奈良県にある和歌山県よりの

ポツンと一軒家を目指し

最寄りの集落から捜索を開始。

 

山奥のトンネルを越えた

所にある集落に到着すると、

自宅前で立っている

さんを発見。

 

衛星写真を見てもらうが

分からず、さんを呼んで

くれるも、電話中。

 

そこに偶然来た息子さんに

見てもらうと、飯場では

ないかという。

 

山の奥に建つポツンと一軒家は昔、

山仕事をする人達が寝泊まりしていた

飯場で今は使われていないかもしれない。

 

それは、十津川村のいろんな所にある

作業道を確保できない急峻な山での

作業で空中にワイヤーを渡して使う

仮設の集材装置 架線集材機がないから。

 

 

2011年9月に紀伊半島を襲った

台風12号による大規模水害で

飯場へ向かう道が土砂崩れで

不通になってしまっているそうだ。

 

今も飯場が使われているか

さんに確認してもらうと、

無人との事。

 

この辺りは昭和57年以降、

近隣一帯の山 150haで

伐採が行われていた。

 

作業現場の山中に飯場が建てられ、

多くの作業員に利用されていたが、

今はもう廃墟で捜索終了。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

協力してもらった

岡田家の本業は土木だが、

家の前の広い敷地では

椎茸の原木栽培も行っている。

 

今はコロナ禍で休業中だが、

熊野古道を散策する観光客

民宿も営んでいると聞き、

見せてもらうことにした。

 

 

以前は椎茸の出荷作業場兼倉庫

だった建物を5年前、

室内を民泊用に改装された。

 

さんが掃除を担当し、食料や

調理家電も完備されていて

1人5千円で泊まれる。

 

この民泊用に改装した

倉庫などが建つ広い敷地は

元々、テニスコートや

屋外プールなどを併設した

リゾート施設の私有地だったそう。

 

15年前に岡田家が一括購入、

かつてペンションとして

使われていた丸太小屋風の

ロッジは、10年前まで

レストランとして営業していた。

 

椎茸栽培が多忙で現在は

レストランを廃業し。

 

使う予定は今のところ

ないらしい。

 

 

また新たなポツンと一軒家

捜索していると、捜索隊

携帯に着信が!

 

着信相手は先ほどのおさんで、

この辺りにポツンと一軒家がないか

探してくれていた。

 

衛星写真で確認してみると、

飯場から約3㎞離れた川辺の

ほとりに確かに

ポツンと一軒家があった。

 

ここに鮎釣りのシーズンだけ

移住する男性が1人いるという。

 

 

   

Sponsored Links

   

 

 

ここ10年以内でこの辺りの山で

起きた土砂崩れは、大小合わせて

約30ヵ所程。

 

さんが教えてくれた

ポツンと一軒家への道も、

3年前の大雨による

土砂崩れで通行止めに。

 

河原に造成した迂回路を

通行するほかに道はないらしい。

 

新たなポツンと一軒家情報と

お土産をもらった後、

捜索再開。

 

 

赤い橋を渡って左折すれば、

あとは道なり。

 

 

 

 

ポツンと一軒家に到着。

 

ポツンと一軒家あるじは、

にしひろむさん79歳。

 

ひろむさんは、ほぼ居住されていて、

この日は様もいた。

 

様はひろむさんに食べ物やら

日用品などを大阪に帰って

色々そろえて持って来るという。

 

ひろむさんの家は、

自身が61歳の時に

建て、築18年。

 

以前は仮説建築会社を

経営されていた。

 

 

昭和33年5月に熊野川上流で

水力発電所のダム建設開始。

 

昭和35年10月、

着工から2年半で完成。

 

その際にひろむさんの

実家があった集落を含む

4集落100軒以上がダムに

水没し、慣れ親しんだ

故郷を失ってしまった。

 

 

   

Sponsored Links