今回は10月9日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
大きくカーブした道の脇
黒い屋根の建物が1棟
広く木が伐採された土地が
衛星写真で見つけた福岡県の
ポツンと一軒家を目指し、
最寄りの集落から捜索開始。
最寄り集落に倒着、
掃除をされている
お母さんを発見。
自分は分からないが、お父さんなら
分かるかもしれないと、近くの
自宅まで連れて行ってくれた。
お父さんにもわからず、
地元に詳しい方の家へ
案内してもらえることに。
そこで、ミヤザキさんの
家だとわかったが、あるじが
亡くなって奥さんは郷に
帰ったので、今は誰も
住んでいない。
捜索終了。
ミヤザキさんの家だと
教えてくれたお宅では、
約800年の歴史を持つ
魔除けのお守り
英彦山がらがらを
作っていた。
それは、日本古来と
言われる土鈴。
地元の土で製造され、
赤と青の柄は太陽と水の象徴。
今も英彦山神宮の参拝客に
親しまれているという。
その後、捜索隊が
向かったのが…
捜索隊がやってきたのは、
空き家から35㎞離れた山中にある
3年前に訪れたポツンと一軒家。
このポツンと一軒家のあるじは
梨農家を営むやまなかけんじさん
当時83歳と、その時に一緒にいた
嫁ぎ先の埼玉県から梨の収穫を
手伝いに来ていた妹さん当時72歳。
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山の急斜面を切り拓いた
広い梨畑を普段は1人で
世話をしているけんじさん。
だが、でも、梨畑の脇に建つ
ポツンと一軒家はけんじさんの
生家ではなかった。
戦後、韓国から引き揚げてきた
やまなか家、4人兄弟の長男
けんじさんは韓国で誕生し、
小学4年生の時に一家は帰国。
県から与えられた山林を開墾し、
当時はサツマイモ栽培で
生計をたてたが、戦後の
食糧難が落ち着き、復興景気で
サツマイモの値が暴落。
当時19歳だったけんじさんは
地元の梨農家に1年間
住み込みで修行。
実家に戻ると、サツマイモの
段々畑を梨畑にした。
家族で梨栽培を開始するが、
梨の実が収穫できるまで
5、6年かかるため、
長距離トラックの運転手として
働き、けんじさんは家計を助けた。
結婚後も休日には実家に通い、
梨畑の手伝いを続ける。
定年後、実家に戻って
梨畑を継承。
やまなか家では出荷の時期が
異なる5種類の梨を栽培。
後継者問題で悩んでいた。
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あれから3年、
妹さんはコロナや
兄の入院などで、
埼玉に戻っていなかった。
ポツンと一軒家の看板は
兄妹の合作。
お兄さんは畑で作業中なので、
妹さんがマイクで呼び出し。
戻ってこないので、
捜索隊は梨畑へ!
10年前から葡萄や
シャインマスカットなどの
栽培も開始。
ここのポツンと一軒家を
観た人がボランティアで、
手伝いに来てくれる。
番組を観た東京の女子高生が
後継ぎを希望にやってきたが、
妹さんが大学進学を勧めた。
再び、後継ぎ候補になってくれるかは
わからないが、けんじさんは去年、
新たな品種のぶどうを栽培。
4年後に収穫、ボランティアの
人に助けられながら精力的に
続ける梨と葡萄の栽培をする。
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