さて、今回は3月28日放にフジテレビ系列で
放送された、アレがあるから今がある!
という番組を振り返ってみたいと思います。
成功のきっかけ大追跡で紹介された、
平野レミ 木下ほうか 蛭子能収
3人に注目してみました。
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平野レミさんは主婦に人気で
レシピの説明はほぼ適当だが、
奇抜なアイディアの持ち主の
料理愛好家であるが、
20代の頃はシャンソン歌手
として活動していたそうです。
ある時、久米宏さんのアシスタント
オーディションのオファーがあった
そうです。
でもそれは、同じレコード会社で
売り出し中の辺見マリさんと
間違えられてのオファーでしたが、
採用が決定され、1970年に
放送されていたラジオ番組の
ミュージックキャラバンに抜擢。
街頭で一般人にクイズを出題
する内容での放送で、レミさんは
放送禁止用語を全く知らず、
言いたい放題で空気をよまない
存在だったそうです。
そのラジオ番組がきっかけで、
現在の旦那である、和田誠さんと
出会い、1週間で結婚したそうです。
自宅で行われた食事会で、
料理を絶賛され料理雑誌の
記事を書いていると、
NHKのきょうの料理という
番組への出演オファーが
舞い込み出演快諾。
その番組で、味が浸み込む
調理法として、トマトを握り
潰して投入した所、視聴者から
多くの抗議殺到してしまう。
その一方で、調理法を絶賛する
人達も居た事により、
レギュラー出演が決定!
平野レミさんはNHKの
抗議殺到の手抜き調理法が
あったから今がある。
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木下ほうかさんは、イヤミな夫役
やイヤミ課長役でブレイクした。
そのイヤミの演技が出来るきっかけが
俳優を目指す為に吉本興業の
俳優オーディションを受け合格!
俳優が出来ると思っていたが、
待っていたのは吉本新喜劇での
ある経験や雑な扱いを受けた事に
関係しているのだとか。
それは、台本に書いてあるオチを
勝手に変更して目立とうとした事が
先輩芸人の逆鱗に触れ、
イヤミを言われ続け、25歳で退団。
自ら営業活動を行い、
努力の結果、ドラマや映画に
出演することになる。
50歳の時、昼顔でイヤミな夫役
を演じる際に、新喜劇で学んだ
演技とイヤミを言われた先輩たちを
アレンジし役を作り上げた。
吉本新喜劇で演技を学び
先輩にイジメられたから
今がある。
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本業は漫画家の蛭子能収さんは
いじられキャラでブレイクし
多数の番組に出演し、
漫画家としての収入よりテレビの
世界で稼いでいる。
漫画家からテレビの世界で
いじられキャラとして定着した
きっかけは何だったのか?
1973年に漫画家として、パチンコ
という作品でデビュー。
ヘタウマな画風で注目を集め、
順風満帆な生活をしていた。
そんなある日、蛭子さんの作品の
地獄に堕ちた教師どもが大好きで、
東京乾電池という人気劇団の座長の
柄本明さんから劇団のポスターの
依頼を頼まれ引き受けると、
その後も気に入られ、絵の依頼
だけでなく、黒人の役者としても
出演させる事になる。
その結果、注目を集めた蛭子さん
は、人気ドラマだった
教師びんびん物語などに出演。
いじられキャラのきっかけとなった
のは、ビートたけしさん司会の
スーパーJOCKEYという
番組の中の人気企画
熱湯コマーシャルでのこと。
差し湯役でお馴染みだった
上島竜兵さんが、
熱湯コマーシャルに登場した
蛭子さんに熱湯をかけた事。
熱湯をかけた上島竜兵さんに
マジギレしたのをきっかけに、
蛭子をいじる=笑いが取れる
方程式がうまれた。
生放送中に上島竜兵に
ガチギレしたから今がある。