今回は12月18日放送の番組

家、ついて行ってイイですか?

夜の中野駅でタクシー代を

払う代わりに

家を見せてもらう企画

を振り返ります。

 

 

手話もできる脚本作家

よないやまさん43歳

女性と交渉成立。

 

後日、仕事帰りに合流。

 

 

出身は広島だが、この名字は

青森県あたりに多いらしく、

父の先祖が青森にいたようだ。

 

仕事をする時はこの旧姓で

やっているとのこと。

 

仕事は手話と脚本、

脚本は舞台とアニメ。

 

ウマ娘 プリティーダービー

をされている。

 

手話の仕事は、

舞台の演劇作品を

舞台の横だったり、

中に入って手話で

通訳をする。

 

 

よないやま家STYLE

手話をする人として出演

 

ニュースのワイプで手話より

暴れている感じだが、役はない

のに舞台にいる。

 

2人きりのシーンでも

2人の間にグッって

入ることもある。

 

 

 

よないやま家STYLE

日本で舞台手話の知名度は低め

 

日本であまり定着していなくて、

自分は演劇もやってるし、手話も

出来るから1回やってみようと思った。

 

よないやまさんのように

舞台の手話通訳をする人は

全国で50人前後だという。

 

 

 

自宅に到着。

 

4LDK 持ち家 築12年

 

 

よないやま家STYLE

1階には両親が住んでいる

 

3階建てのお家で

玄関は一緒。

 

 

 

よないやま家STYLE

リビングでは仕事に集中できない

 

元々はがリビングで

仕事をしていたが、

リビングで働いていると

家事しなきゃと仕事に集中

出来なくてに代わって貰った

 

 

   

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4人しかいない劇団で、

舞台に出演するのが3人で、

書いて演出するのが1人。

 

自身の劇団の脚本も担当。

 

最小人数は3人だが、何人か

ゲストを呼ぶこともある。

 

両親が耳が聞こえないので、

生れつき手話ができる。

 

 

出版社で営業をしている

ガンダム好きの旦那さんが帰宅。

 

 

 

よないやま家STYLE

夫も舞台脚本家だった

 

旦那さんも演劇をやっていて、

そこで出会ったが、結婚する時には

は演劇をやめて就職。

 

 

13歳の息子さんも帰宅。

 

息子さんも演劇部に

入っているそうだ。

 

 

よないやまさんが

関わった作品は

パリピ孔明

シリーズ構成を担当。

 

脚本は基本的にキャラクターの

セリフと動きと心情、何が

映っているかで構成されているもの。

 

 

手話が出てくるっていうのと

聞こえない人が出てくるって

いうのは、自分の世界と近い。

 

手話はコミュニケーションを

取る中で覚えていった。

 

日本語を日本人が使うのと

同じこと。

 

手話で会話することが

普通と思っていたので、

大変だと思ったことが

あんまりなかった。

 

周りの人には可哀想とか、

耳が聞こえない両親

助けてあげてとか言われるけど、

メモとペン持ってどこでも行くし、

何を助けてよいかわからないくらい

すごいアクティブな両親

 

 

   

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障がいがあるから可哀想みたいに

見られることには、めちゃくちゃ

居心地の悪い思いがあった。

 

可哀想って勝手に決められるのが

すごい気持ちが悪かった。

 

お前のは耳が聞こえないから、

ウチの親がお前とは遊ぶなって

言ってたとか言われて、びっくりして

何も言えなくなった。

 

 

手話は海外だと意味が違う。

 

ドラマのsilentとかがあるのは

すごく喜ばしいことだけど、

これに刺激されて手話が

盛り上がればいいねっていう所は

愛してると言ってくれとか

オレンジデイズとかその辺りでも

同じことが言われている。

 

今、2022年で同じことを

言うわけにはいかない段階。

 

手話が認知されれば

良い段階ではないとしつつ、

すごい良いドラマと思って

見ているというめちゃくちゃ

複雑な気持ちなのだそう。

 

手話を舞台に入れようと思ったのは、

よないやまさんが中学生くらいの時に

朝ドラと大河ドラマには字幕が

ついていたけど、民放のドラマには

字幕がなかった。

 

その時、古畑任三郎とか

王様のレストランがすごく

面白くて、それを両親

伝えたくて、あまりに

面白いから。

 

 

   

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VHSに録画して、

テレビの横に立って

ドラマを全部、

通訳したことがあった。

 

すると、両親が笑って

欲しいタイミングで

笑ってくれたのが

めちゃくちゃ嬉しくて、

舞台に手話通訳があるのを知った。

 

自分が生まれてきてから

持っている言語と

自分がやりたいことが

繋がると思っていなくて、

これを仕事にしたいと思った。

 

 

 

よないやま母

無邪気だったから、

気づいた色んなことを

教えてくれていた。

 

自分は聞こえないから、

聞こえるちゃんを産んで

が自分に対して、

目でわかる行動をしてくれる。

 

へぇなるほど 面白いと

思っていたそうだ。

 

はおさんが聞こえないことを

わかっているから、転んで痛くて

泣く時に、その時は泣かないで

我慢して、目の前にきて

顔を見てから泣き始めた。

 

すごく感動したのは、

小学校の参観日の時に

様子を見てわかればいいと

思って手話通訳をつけずに

見ていたら、が授業中に

突然、立ち上がって

授業の内容の手話を

してくれた。

 

いいよ、いいよと思ったけど、

どこか嬉しくて、それは今でも

すごく覚えているという。

 

 

よないやまさんの夢は

舞台に手話がつくようになって、

聞こえないおさんが増えて、

さんが増えたら聞こえない

俳優だとか なり手が増えた。

 

そして、舞台の上にどんどん

聞こえる人も聞こえない人も

混ざっていくと良いなと

思うという。