今回は5月31日放送の

チコちゃんに叱られる!

Don’t sleep through life!

を振り返ってみたいと

思いますので

宜しくお願い致します。

 

何も考えないで、

のほほんと暮していると

チコちゃんに叱られますよ。

 

 

 

なぜ薬は病院ではなく

薬局でもらうようになったの?

 

フリードリヒ2世が毒殺に

ビビったから

 

 

詳しく教えて下さるのは

日本薬剤師会

山本信夫会長。

 

山本会長によると、

現在 日本ではおよそ8割の

患者医師の書いた処方箋を

薬局に持って行き、

薬をもらっている。

 

これは1997年に当時の

厚生省が患者の診察を行う

医師と薬の調剤を行う

薬剤師の役割を分ける

指示を出した。

 

それぞれの業務を

分担することを

医学部業という。

 

今では日本でも当たり前に

なりつつある仕組みですが、

薬を薬局で薬剤師から

もらうようになったのは、

神聖ローマ帝国の皇帝

フリードリヒ2世が毒殺を

恐れたことがきっかけ

だったと言われている。

 

神聖ローマ帝国とは、

10世紀~19世紀の間に

現在のイタリアとドイツの

辺りに存在していた国。

 

フリードリヒ2世は、

およそ800年前にその国の

皇帝だった人物。

 

 

   

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NHK

たぶんこうだったんじゃないか劇場

ビビりん坊皇帝

~調剤薬局 事始め~

 

13世紀のヨーロッパ、

さまざまな国で権力争いが

起こっていた。

 

神聖ローマ帝国のとある酒場で…

 

流浪の民と酒を酌み交わす

町人風情の男が

フリードリヒ2世

 

フリードリヒ2世

国の統治に優れていた

だけでなく、ラテン語や

アラビア語など数か国語を話し、

ナポリ大学を設立するなど、

国民の知的水準を向上させ、

それまでの王の中で最初の

近代的な人間と評された。

 

ときに町民に身をやつし、

人々の生活を探りながら

近隣諸国の情勢を集め、

自国の政治に役立てた。

 

 

当時、暗殺の方法として

用いられたのが毒だった。

 

当時、ヨーロッパの国々では

権力者がたびたび毒殺され、

中世ヨーロッパでは花の毒を

使って暗殺することが多かった。

 

実際にジギタリスという花で、

暗殺されたという記録が

残っている。

 

毒の成分はジキトキシン

→嘔吐・胃腸障害

 

 

当時、花以外に毒殺に

よく使われていたのが「ヒ素」

 

ヒ素は、わずかな量でも

長い間、体内に取り入れて

しまうと、死に至る

恐ろしいもの。

 

 

   

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そんな、ヒ素を見抜くために

銀の杯を持つ。

 

銀は裕に含まれている

不純物がつくと、化学反応で

黒く変色する。

 

そのため、中世ヨーロッパの

王族貴族は銀の食器を使って

毒殺を防いでいた。

 

ある日、薬が毒だったら、

怖いと飲むのをやめた。

 

13世紀頃、医学の先進国だった

アラビアやペルシアの国々では、

薬剤師という職業があったが、

当時のヨーロッパにはそのような

職業はなかったと言われている。

 

医者が薬に毒を混ぜようとしても

薬屋が気付く。

 

患者はどの薬屋を選んでもいい!

 

だから、患者薬屋

自由に選べる。

 

こうして、フリードリヒ2世

1240年に医薬分業。

 

薬は薬剤師からもらう

という法律を定めた。

 

これが現代、薬局で

薬をもらうルーツに

なったと言われている。

 

 

   

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