今回は2025年3月9日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
歪に切り拓かれた広い敷地
敷地の入り口に建物が密集
衛星写真で見つけた熊本県の
ポツンと一軒家を目指す。
熊本県のポツンと一軒家を
目指し、最寄りの集落から
捜索開始。
集落に到着し、
漁港を歩いていたお父さんに
衛星写真を見てもらうと、
目指すポツンと一軒家の主は
73、4歳のササハラさん。
おそらく1人暮らしで、
みかん農家を営んでいるのでは
ないかという。
捜索再開。
目印を教えてもらい、
車一台がギリギリ通れる
狭くうっそうとした山道を
走っていく。
そんな時、後ろを走っていた
車に先ほど道を聞いたお父さんが
乗っており、心配になって
案内してくれるという。
そして、ポツンと一軒家に
たどり着いた。
ササハラさんは外出中のようで、
ここまで案内してくれた
お父さんと別れ、家主を
待っていると戻ってきた。
麓の集落の人たちから
いつか捜索隊が来ると
言われていたという
ポツンと一軒家の主
ささはらひろしさん80歳。
みかん畑を北西の風から防ぐ
防風林を自力で剪定。
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昔はもっと上にあったお墓を
下して、足が不自由な人でも
車から降りて何歩か歩いただけで、
参れる場所に改葬した。
この場所は元小集落で昔は
3軒か4軒あったそうだが、
ひろしさんが子供の時には
1軒だったのだそう。
ひろしさんの兄弟は7人いて、
ひろしさんは長男。
小学校までは4㎞あった。
旧道を通って学校に通っていたが、
途中に小川もあって、大雨の時は
膝まで浸かった。
この場所にささはら家があるのは、
ここに上ってくる途中に道を
切り拓いた所があって、元々は
その上にささはら家があった。
そこに建っていた家は借地で、
ささはら家あった畑に
4㎞あまりの道に牛を引いて
来るのは大変だから、
畑のそばに移住した。
祖父が引っ越してきてから、
100年あまり経つのだそう。
祖父が中古の家を移築。
向こうに建ってた時は
茅葺きだったらしいが、
もう屋根葺く職人も
居らんと思って、
瓦屋根に替えた。
家の前にあるみかん畑は
祖父が始めたが、前は
芋畑だった。
みかん畑だけでは生活が
困窮して、7人兄弟の
長男だったひろしさんは
中学卒業後、高校に進学せず、
家業を手伝いながら、
出稼ぎしていた。
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東京に行って下水道工事とか、
地下に潜る仕事を多くした。
昔の東京行は船で水俣に出て、
水俣駅から私の頃は
蒸気機関車だった。
水俣からSLに乗って、
熊本駅まで行き、
電気機関車に乗り換えて
走って行った。
熊本駅から東京駅までは
直通で24時間くらい掛かった。
10年間出稼ぎした後は、
醤油会社に就職。
地元の醬油会社で
60歳まで勤務し、
20年前に定年退職した
ひろしさんはそこからずっと、
みかん畑を管理を続けている。
晩柑の木は20本ぐらいあり、
収穫したら兄弟や親戚に配る。
品質が良くないと出荷は
出来ないのでしない。
急斜面での作業で
救急搬送されたこともある
ひろしさんはササハラ家が
あるという看板を設置した。
妻さんが亡くなって
3月で21年。
人里離れた山の上で
ポツンと一人暮らし。
それでも、娘と妹が気に
かけてくれるので、
心強いというひろしさん。
祖父が建て、自分が生まれ育ち、
若くして亡くなった妻との
思い出が宿る大切な家。
急斜面のみかん畑の世話は、
歳を重ねるごとに大変さが
増すが、みんなが喜んで
食べてくれるのが嬉しい。
これからも、一日でも長く、
家とみかん畑を守っていこうと
ひろしさんは心に決めている。
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