今回は8月29日放送の

家、ついて行ってイイですか?

特別編!海外SP~アメリカ~

を振り返ります。

 

新丸子駅から徒歩1分の

三ちゃん食堂のお店で

飲んでいる人の飲み物を

払う代わりに家を見せてもらう

企画からニューヨークへ!

変更をプレビュー (新しいウィンドウで開きます)

ところが疲労と時差ぼけで

取材が成り立たず、

WASHINGTON SQUARE PARKで、

スーパーのお買い物代をお支払い

する代わりにお家ついて行かせて

いただく企画を振り返ります。

 

お父さんが東京出身のジョシュアさん

May I Follow You Home?と伝えると、

何も買わなくていいと、交渉成立。

 

学校の寮に申請を出し、

寮の部屋を案内してもらう。

 

専攻は、作曲でNYには9月に

来たばかりだという。

 

 

   

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ジョシュア家STYLE1

アメリカらしく土足OK

 

 

ジョシュア家STYLE2

暗闇で読書する友人

 

 

ジョシュア家STYLE3

それでも暗い

 

電気をつけてもらうが、

それでも・・・。

 

 

ジョシュア家STYLE4

洗濯物は土足可の床へ

 

洗濯した直後だから

散らかっててごめん!

 

 

大学寮 家賃 年間1万ドル

(約110万円)

 

学費は1年で800万円だという。

 

 

ニューヨーク学生STYLE1

学費が高いので フリマで節約

 

コレクションのお気に入りの服

10ドル(1,100円)を親友と購入。

 

 

ニューヨーク学生STYLE2

まちがった日本のファッション情報

 

一番よく履くズボンは、

ゴシックデザインで東京の人は

皆、ゴシックを履くでしょ!と、

日本の流行をマネしている

のだそうだ。

 

 

ニューヨーク学生STYLE3

キザ

 

のギターで、

彼女の名前はボビー

 

ちょっと弾けば

女の子っぽい音するでしょ!

 

 

ニューヨーク学生STYLE4

ロックな下ネタ

 

ボビー可愛いと思わないか?

ボビーと○リたいだろ?

 

 

ジョシュア家STYLE5

デスク=音楽作成用

 

機材を使えば簡単に

音楽を作れる。

 

ドラム付きシンセサイザー

みたいにもなる。

 

 

ニューヨーク学生STYLE5

いちいち、詞的

 

 

ジョシュアさんの作詞作曲の

音源を披露すると日本の人たちは、

この曲 気に入ってくれるかな…

と、発言するも、取材クルーから

なんか、ねちっこい歌詞ですね

と、チクリ…。

 

 

お母さんはメキシコ人で、

お父さんが日本人。

 

家賃は、警察署で事務の

仕事をしていたお母さんの

貯金で払っている。

 

3歳の頃、両親が離婚した。

 

だから日本には行った

ことがないという。

 

イヤリングは日本製。

 

大学にたくさん

アジア人はいるけど、

日本人の知り合いはいない。

 

 

   

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ジョシュア家STYLE6

日本でも あまり知らない

バンドが好き

 

好きな日本人アーティストは、

Fishimansっていう90年代のバンド。

 

ジョシュアさんの音楽性は、

ここから来ている。

 

ずっと音楽に興味があって、

13歳の時から作曲をし始め、

これなら本気で打ち込めると思い、

音楽を仕事にしたい!

 

 

ジョシュア家STYLE7

映画のようなセリフ回し

 

でも何でニューヨークで?

と聞く、取材クルーに、

面白い事を聞くね!

と返事をする。

 

でももまさにその事で

悩んでたんだ。

 

ニューヨークにいるべきか?

ロスに帰るべきか?と。

 

ロスも相当な音楽の本場!

でも心の底からニューヨークに

憧れていた。

 

アメリカで何かを表現してる

アジア人って少ないから。

 

アジア人 ましてやハーフの

想いなんてなかなか理解されない。

 

だから日本人としてアジア人を

代表する表現者になりたい!

 

幼い頃は、周りの友達に

からかわれて大変な思いもした。

 

指差してアジア人だ!!

とか言われたりして、

みんなと違うのがイヤ、

肌の色で仲間外れに

されるのがイヤ。

 

アジア人は皆、こういう事

するんだろう?

 

こういう人間なんだろう?

ってウンザリだった。

 

だって、そうじゃない!

 

心も考え方も

全部 アメリカ人なのに。

 

18歳になったらニューヨークに

行きたいってお母さんにも話すと、

いつも僕のその夢を応援してくれた。

 

同じくマイノリティだった

からの言葉は、かましてきな!だった。

 

ところが16歳の時 お母さんは、

肺がんになって亡くなってしまった。

 

ショックすぎてどうしていいか

わからなくなった。

 

18歳で実家を出る時、

ニューヨークに来ようと

決意させたのは、母の死。

 

やりたいことをやりなさい!

っていうお母さんの口癖に

背中を押された。

 

 

実家でテレビを見ていると、

母親が泣きながら帰ってきた。

 

がんだと知って、

とても怯えていた

 

ショックだった

 

数ヶ月間 母は体に異変を

感じていたが、

医者は何も見つけられず、

45歳で半年後に亡くなった。

 

最後に会ったのは、

2016年8月27日だったかな?

 

母の死に際に会えなかった。

 

ニューヨーク大学の下見をしに

オリエンテーションに来ていた時で、

僕には言わなかったけど、

死ぬ日が近いってわかってたのかも?

 

ニューヨークに飛ぶ日、

バイバイ 愛してるよ

すぐ帰るからねって病院で

寝たきりのに伝えた。

 

もう 話せなかったけど、

いってらっしゃい

言ってくれた気がした。

 

お母さんが危篤だからって

電話が掛かってきて、

急いで飛行機に乗って向かったけど、

叔母からFacebookお母さんが

亡くなったとメッセージが来た。

 

飛行機の中で大声で泣いた…

 

まだその時の気持ちを

乗り越えられていない。

 

披露してくれた曲は、

お母さんに向けて作った歌。

 

母をがんで失った経験が、

紛れもなくの音楽性に

影響している。

 

毎日 母の事を考えてしまうし、

戻りたいけどあの頃に、

戻れない事もわかってる。

 

見た目や家庭環境とか、

周りと違う事に悩み続けた人生。

 

それらの悩みを誰かの励みに

変えて世界に発信したい!

 

ずっとなりたかった普通の

白人よりも、深い人間に

なれたらと思いたい。

 

 

   

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