今回は、10月21日放送の
消えた天才 丸山桂里奈さん編
を振り返っていきたいと
思いますので宜しくお願い致します。
元なでしこJAPANの丸山桂里奈が
唯一勝てなかった天才フォワード。
今や多数のバラエティ番組に出演する
丸山桂里奈は19歳で日本代表入りを
果たし、100m11秒台のなでしこ
史上No.1俊足フォワードに。
2011年7月10日 W杯準決勝
ドイツ戦では、丸山が延長戦で
劇的なゴールを決めた。
勢いに乗ったなでしこJAPANは、
アジア勢初の世界王者になった。
丸山桂里奈が唯一、
勝てなかった天才とは?
丸山が天才だと思った
のプレーを見て全身稲妻が
走っちゃうようなイメージで、
足が速くて誰も止められない
感じで、例えるとしたら
トラ柄のヒョウだという。
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丸山が大学生の時、日本代表に
はじめて召集され、衝撃の
ある出会いがあったという。
その天才は、金髪ヘアーの
選手でヘアバンドをいち早く
取り入れていたらしい。
丸山が、天才と同じチームで
試合に出場した時、俊足の丸山が
諦めたボールに追いつきそのまま
ゴールを決めていたそうです。
天才の凄さは、1998年 アジア大会で
澤さんとともに天才が出場し、
相手のゴール40m付近でボールを
受け取った天才は、3人を抜き去り
ゴールを決めていた。
国際試合で2試合連続ハットトリック
達成し、ある時は1試合一人で6得点を
あげた事のある天才とは、井坂美都さん。
1999年に得点王と年間MVPを獲得し、
日本代表 絶対的エースとして
君臨した井坂さん。
そんな井坂に近づく為に、丸山は
ごはんまで真似するように。
憧れもあり、丸山は井坂を
絶対適わない選手だと思った。
だが突然、井坂さんは2002年の
ある試合をさかいに出場する事無く
姿を消していた。
あれから16年、丸山は井坂と再会。
井坂さんは現在、サッカースクールで
子供たちを指導しているという。
二人が出会った頃、井坂さんは
丸山さんの事を可愛い妹・
可愛い後輩というのが
印象的で、プレーは正直
負けないと思っていたという。
井坂さんが辞めた理由は、
2002年 アジア大会の代表合宿。
何でもマネした丸山は、井坂の
動きをわずかな期間で習得し、
アジア大会 開幕戦のメンバー発表で
フォワードに丸山の名前が挙がり、
実はかなり落ち込んでいた事を明かした。
これを機に丸山は後輩ではなく
ライバルに変わる。
2戦目の先発も丸山で、井坂に
チャンスが来た時はアジアの最終戦
だったという。
ところが、試合中に全治3ヶ月の
右膝靭帯断裂になり、交代した丸山が
なでしこの勝利に貢献した。
井坂も戻ってきたがメンバーに選ばれる
事はなく、休養中の3ヶ月の間に丸山が
レギュラーに定着。
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井坂が姿を消したのは丸山の急成長で
居場所がなくなったからだったそうだ。
3年ぐらいはずっと悔しくて、
サッカーすら見れなかったという。
2011年 W杯 丸山のゴールは、
井坂が得意としていたプレーで、
丸山にはじめて越えられたと
感じていたそうで、ポジションを
丸山にとられてよかったと今では
思っているという。
そんな事情があったのに、丸山さんは
井坂さんが姿を消した理由がわからない
なんて、どんだけの天然やねん。
そのほか、今回のSPでは新体操元代表
畠山愛理さんは、2012年のロンドン五輪で
エースとしてチームを牽引したこと、
15歳の時には競技人口1万人の中から
10人にしか選ばれないフェアリージャパン
に選ばれた実績も。
そんな畠山さんが勝てなかった
同世代の天才は、田中美朱さん。
姿を消した理由は、体の成長が
遅かったという思春期の悲劇が
原因であるなど、レギュラー放送
1回目だった。
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