今回は12月28日放送の番組

中居正広の金曜日の

スマイルたちへ

スペシャル

滝沢秀明

を振り返ります。

 

名前の由来について母親は、

賢く明るく育って欲しい

との思いを込めてつけられた

滝沢秀明と命名されたという。

 

とにかく静かで、常に隅っこにいる

子だったので自身が芸能界に入る

なんて想像もしていなかったそうだ。

 

母親は明るく社交的な性格で、

好きだったという秀明少年。

 

産まれる時は、分娩室に

空きがなく、待合室のベンチで

出産されていたようだ。

 

1982年に東京都八王子市で3人兄弟の

末っ子として誕生した秀明さんは、

幼稚園の時に、普段滅多に口を

聞かない父親に荷物を運んで欲しい

と言われ、喜んで手伝ったが

その後、父親は離婚が原因で

出て行ってしまった。

 

それが秀明さんにとって、

との唯一の思い出。

 

これを機に、生活が

一変していたという。

 

母親は朝から晩まで働き、

家族のバランスが崩れる。

 

お金がないので、鉛筆消しゴム

買えず、食べる物も小麦粉

溶いてホットプレートで

ホットケーキみたいな物を作って、

ケチャップとかを塗って食べたと話す。

 

それも買えない時は、

お菓子だけだったとか。

 

服を買うお金もなく、真冬でも

タンクトップ短パンだった為、

校長先生に全校生徒の前で、

この子たちみたいに元気よく

なりなさいみたいな事を話した。

 

当時は、バブル期で洋服が

買えないのは秀明さんの家

だったそうで、周りから

ただの貧乏じゃん

思われるほどだった。

 

学校の落し物は、これ、俺のだ

と嘘をついて自分のものに

していた事を明かしてくれた。

 

一番つらかった時は、

クリスマス

 

クリスマスを祝う習慣がなく、

作文の授業では、会えなくなった

父親との嘘の作文を書いていた事も。

 

そんな秀明さんの唯一の贅沢は、

餃子だったが、豚肉を買えないため

シーチキンだった。

 

 

   

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秀明さんにとって最も

足りなかったのは父親という存在で、

その思いから僕が母さんを守らなきゃ!

この生活から抜け出したいと強く

思うようになり、中学にあがると

どうやったら子供でも働けるのか?

家族を支えるため、自立も考える

少年だったそうだ。

 

そこで最初にプロレスを目指すが、

中学1年で秀明さんは身長が143cmで、

体重が33kgしかないため断念する。

 

そんな時、が夢中になっていた

kinki kids

 

とにかく何かやらなきゃと

考えた時、最終的に

ジャニーズ事務所

たどりついて自分自身で

応募を決めた。

 

そして書類選考通過したが、

オーディションで何をやるのかも

わからずに会場に向かう。

 

そこには、ボロボロの洋服を着て

警備員のようだと思っていた人物。

 

オーディションが終わる時に、

僕がジャニーですって言われたが、

秀明さんは詳しくわからないので

社長の事もしらなかったそうだ。

 

そしてそのオーディションの

中には今井翼さんの姿も。

 

秀明さんは、今まで踊った事の

ないダンスを披露し、

落ちたんだろうと思って

帰ったそうだ。

 

1週間後、you誰?と電話があり、

いついつ仕事入ったから○時に来て

と連絡を受けたという。

 

合格を告げられないが、いきなりの

コンサート出演のオファーが、

ジャニーさんからあった。

 

 

   

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今井翼さんによると、秀明さんには

特別な空気を持っていて、自分自身で

ジャニーズに入りたいと言う意思の

もと来ていたので目つきにしても

人とは違っていたと話す。

 

その後、わずか2週間の

ダンスレッスンを受け、

Kinki kidsのバックダンサーとして

ステージに上がっていた。

 

本格的な芸能界入りを前に、

秀明さんは母親に、僕は

これから先、マイナスな事は

絶対に言わないよと話したという。

 

離婚してから1年に1回位は

父親と会って、その日だけは

1日贅沢が出来たそうだが

今では全く会っていない。

 

 

   

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