今回は12月28日放送の番組

中居正広の金曜日の

スマイルたちへ

スペシャル

特別な存在 滝沢秀明

を振り返ります。

 

続きです。

 

1995年 秀明さんが13歳の時、

ジャニーズJr.での活動を開始。

 

ジャニーズJr.とは、先輩の

バックダンサーやアイドルの

サポートを行う下積み時代の事だが、

秀明さんは入った当初から

ヴェルタースオリジナルのような

特別な存在だったという。

 

1年後輩の山下智久さんによると、

タッキーは特別な事が普通で

特別な事に違和感を抱かさせない

というのが既に特別だったと話す。

 

秀明さん自身も、結成する時に

お手伝いというかジャニーさんと

相談しながらやっていたという。

 

当時のジャニーズJr. は200名以上

いた中で、期待の星とされていて

ジャニー氏の自宅や食事に招待され、

礼儀やマナー、人との接し方を

学んでいたそうです。

 

それは秀明さんにとって、

初めて知る父親という存在に!

 

そしてジャニーズ史上最短で、

ドラマの主演が決定し、Jr.

抜擢されるのは異例で、本人には

直前まで知らされず、基本は

新聞で知っていたそうだ。

 

1995年の木曜日の階段

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アイドル仕事以外にも、

滝沢秀明さんだけは特別で

オーディションの助手に起用、

面接官を任される事もあったそうだ。

 

いつしか1つのグループとして、

注目を集め、16歳の時に秀明さんは

ジャニーさんからJr. のリーダー役と

8時だJという番組のMCも行った。

 

そんな秀明さんに対し、僻みや

嫉妬を感じるメンバーも中には

いたそうで、1年後輩の生田斗真さん

によると、あいつ、一生懸命で

頑張っていて「ダッセーよな」

みたいな感じはあったかもしれないと

明かした。

 

他のメンバーが問題を起こすと、

リーダーである秀明さんの責任に。

 

それに耐えられなくなった秀明さんは

ある時、ジャニーズを辞めることも

考えていたそうで、母親はそんな時、

驚きもあったと言うが、すぐ帰って

おいでと一言伝えたそうです。

 

でも、帰ってきた時は既に

前向きになった姿で、

母親も安心したとのこと。

 

当時は誰にも相談できなかった

秀明さんは、徐々に不満がたまり

怒りの矛先をジャニーさんに向けるが、

ジャニーさんは強くあたっても

引いてくれてやさしく受け止めて

くれていたという。

 

そんなジャニーさんに恩返しをしたい、

そんな思いで後輩を見続けた結果、

いつしかジャニーズJr.全員から絶大な

支持を受ける存在となった。

 

 

   

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17歳の時、リーダーとしてだけでなく、

Jr.からというグループをCDデビュー

させようという話をジャニーさんから受ける。

 

周囲の間では、のメンバーの中に

Jr.のトップ 滝沢秀明も入っていると

思われていたのに入っていなかったので

衝撃を受ける人も多かったようです。

 

松本潤さんもタッキーいないの?

と思いがあり、ハワイで結成会見

させてもらった時、来てる記者の

人たちも「何人組だ?」「タッキーは

どこだ?」みたいな感じでみられて

いたようです。

 

秀明さん本人は気にしておらず、

裏ではyou(タッキー)が抜けると、

Jr.がなくなってしまうから、

タッキーがジュニアを守るんだと

いわれていたようだ。

 

そんな時、タッキーを一躍

世間に知らしめる1999年の

ドラマに出演。

 

高校教師と禁断の愛を交わす

生徒役を演じた、魔女の条件

放送された。

 

 

 

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