今回は8月29日放送の
日曜日の初耳学
インタビュアー林修
第23弾の回を振り返って
みたいと思います。
今回のカリスマは、
俳優 中村倫也さん。
中村さんの20代は役者として
売れない時代が長く続き、
自ら暗黒期と呼ぶほどの
人生のどん底を味わったという。
その暗黒期から抜け出したのは、
5人の名優たちの存在があった。
林先生と中村さんの共演は、
2014年のTBSの番組
林先生の痛快!生きざま大辞典
以来のこと。
今は若い女性からの支持が
凄いと言われた中村さんは
わからないですと答える。
キャーとか言われるように
なったそうで、今までは
出待ちの人に手紙渡されたと
思ったら○○君に渡しておいて
と言われ、全て断ったようです。
中島健人から中村倫也の裏情報
誰にも言っていない中村倫也の秘密
について聞くと、見た目を結構
気にするということらしいが、
本人に聞いてみると、普段
何も気にしないと言い、
中島健人に反撃。
中島さんが中村さんの楽屋に
挨拶をしにきて3分位喋っていたが、
半分くらい鏡を見ていたと話す。
話題作に次々と出演する
中村さんだったが、
売れない時代には
心を腐らせることも多かった。
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中村倫也さんのエッセイ
THE やんごとなき雑談によると、
自分はもっと評価されて良いはず
虚勢を張って 勝手に敵を増やした
徐々に暗黒期が続いたそうだ。
16歳 事務所の養成所に入る
オーディションの話を頂いたが
落ちしまったという。
その理由は、
芝居がでかかったから。
それが悔しかった中村さんは、
次のオーディションは絶対に
受かってやると言って決まったのが、
七人の弔という映画でデビュー。
その時の役が、イライラしているような
若者で、芝居がどうこうじゃなくて
イライラしていただけで合格したと
感じているそうだ。
デビュー1年目にしてドラマにも出演、
順調かに思えたが、少しずつ
人生の歯車が狂い始めていたという。
普通の若者だったら、自己PRがあって
そのあと芝居をする感じになるが、
中村さんは自己PRって必要?役者に
と、ものすごく世界の中心が自分だった。
10代の頃は生意気な感じがカワイイだったが、
20歳過ぎてオーディションでそれやってたら
全然仕事をもらえなかった。
場を与えられないってことは、
期待されない 必要とされていないって事。
でも、それを認めると
もう生きていけない。
だからそれを認めずに、
見ないふりをしていた
20代前半は暗黒期の始まり。
悪いのは自分ではなく、
世の中だというスタンスを
取っていた事から、
少ない仕事がますます激減。
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ムロツヨシさんと飲み屋で
中村さんがグチグチ言ったら、
じゃあ、お前 何ができるんだ?
と、言われ、腐っていた自分に気付き、
仕事好きでやりたいから
頑張んなきゃと、思った。
堤真一さんと22~23歳の時に
堤さん主演の舞台で共演。
中村さんにとって堤さんは
俳優界のオジキ。
なかなか褒めて貰えなかったが、
3年前に舞台をやった時に
見に来てくれて、食事をした。
ラストオーダーの時に、
何か食えと言われ、
焼きおにぎり2個頼まれて
初めて認めて貰えた気がしたという。
古田新太さんは中村さんが
演技面で影響を受けた人物。
ふざけちゃいけない所で
ふざけるが、ちゃんと面白いし、
作品を豊かにする。
誰よりも真面目と言うか、
仕事とか人に対して誠実で、
世界観を広げてくださった方。
阿部サダヲさんとは舞台で一緒になり、
何なんだろう この人?って本当に
思ったそうだ。
かなわないな、圧倒的過ぎて
演技の神様に愛されているんじゃ
ないかと思うくらい。
阿部さんが出てくるだけで
空間が全部自分のものみたいな。
仕事をご一緒したいし、
憧れも入るという。
八嶋智人さんは、中村さんの不遇の
暗黒期の時代に毎週ご飯を
食べさせてくれた大恩人。
救われた経験から
30代半ばとなった今、
今度は自分が後輩たちの面倒を
見るようになった。
大事な後輩は、
中島健人さん、小芝風花さん、
浜辺美波さんとのこと。
ドラマ 相棒で、あとから有名に
なった人を探すのが好きな林先生、
中村さんがギャンブルで300万円
当たったのを人の家のポストに
入れる役だったのに気付かず、
気付かなかった自分を許せないと
悔やんでいた。
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