今回は11月14日放送の
日本全国大捜索‼
ポツンと一軒家
を振り返ってみます。
衛星写真を拡大すると見えてくる、
山奥にポツンと建つ一軒家に
スポットを当てる番組。
道路の行き止まり?
大きな建物が2棟
青い屋根の小さな建物も
極端に横に長い建物が
離れた所に大きな建物が
衛星写真で見つけた岩手県の
太平洋側の山の中にある
ポツンと一軒家を目指し
最寄りの集落から捜索開始。
目指すポツンと一軒家から
4㎞離れた山の中に以前訪ねた
ポツンと一軒家があった。
その時、道を聞いた地元住人から
の情報で、シラハマさんを
受けていた。
シラハマさんについては
こちら。
シラハマ家を捜索中、
ほかのポツンと一軒家情報を
頂いていた。
その家のあるじは、
80歳を過ぎた
オザワカツイチさんが、
畜産業を営みながら
夫婦2人で暮しているという。
シラハマさんを取材後、
オザワ家を捜索していた。
笑顔で迎えてくれた、
オザワカツイチさん87歳と、
奥さん86歳。
高校を卒業した後、
地元のみかん工場に
就職した奥さん。
実家のあった麓の集落から、
山の上のポツンと一軒家に
嫁いできたのは29歳の時。
ひとつ上のカツイチさんとは
小さい頃からの幼なじみだった。
Sponsored Links
もともと、麓の集落で誕生後、
転居を繰り返し、両親や兄弟と
この山奥の土地に移り住んだのは
63年前、24歳の時だったそうだ。
カツイチさんの父は、山で働いたり、
炭焼きをするようになって、
牛飼いの手伝いなどの重労働を
やっていた。
カツイチさんが小学校5~6年の
時から父の調子が悪くなる。
盲腸だったが、当時は手術を
するような時代ではなく、
冷やして散らしていたが、
その結果が良くなくて、
5年位苦しんだと思うと
いうカツイチさん。
戦争が終わったばかりの時に
親父が弱くなったので、
生活にはかなり苦しんだ。
米が配給だったけど、
1ヶ月食べる位の
配給ではなく、
半月も食べれば無くなる。
母親を助けるために
中学にも行かず、
カツイチさんは炭焼に入る。
当時、山で焼いた炭を
牛に背負わせ、海辺の倉庫まで
炭を運搬した。
片道20㎞の道のりを
5時間歩いて移動、
24歳まで炭焼きの仕事に
従事していた。
昭和34年、8人兄弟の
長男だったカツイチさんが
24歳の時、約1万2千坪の
山を買い、自ら開拓。
そこに家を建てて、
親子10人で移り住んだそうだ。
戦後、深刻な食糧難を背景に
食料増産の目的で、
戦後開拓という名の
農地開拓事業が国策として
行われ、田畑を開墾を条件に
山を安く購入。
開拓組合に資金 10万円を
借りて、家を建築した。
山を開墾し、田畑をつくる際、
そこに生えていた木を伐採し、
家を建てる木材のおかげで
建築費を節約できたが、
10人家族の家計は逼迫。
Sponsored Links
3年間、故郷を離れて、
県外に出稼ぎをし、
給料のほとんどを
実家に仕送り。
カツイチさんが出稼ぎに
出ている間、父が牛を飼い、
畜産業を始める。
父の仕事を手伝う為、
28歳の時に出稼ぎから帰郷。
親子で本格的に畜産業を
続けていくために、
カツイチさんは家の隣に
長さ30mの牛舎を建てた。
30年前に稲作を辞め、
牧草を栽培。
今は牧草地だった1画に
小さな畑を耕し、野菜を栽培。
29歳の時に嫁入りした奥さん、
2人の子宝にも恵まれ、畜産業の
手伝いを行う。
一番大変だったのは、
牛の飼料作りだった。
10年前の東日本大震災で起きた
福島県の原発事故の影響で、
牧草も牛に食べさせることが
出来なくなってしまい、
15頭いた牛も1頭以外、手放した。
毎日のように買い物や
家事の手伝いをするために
実家に顔を出す長女登場。
長女は高校3年生まで
住んでいたという。
長女の息子は震災で
津波にのまれて
亡くなられた。
Sponsored Links