今回は9月17日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

横長に切り開かれた敷地

瓦葺きの大きな建物

家の前に川が流れている

衛星写真で見つけた熊本県の

ポツンと一軒家を目指す。

 

集落に到着すると、

さんを発見。

 

衛星写真を見て貰うと、

ポツンと一軒家を知っていた。

 

目指すポツンと一軒家

あるじは林業を営む60代の

たやまかずのりさん。

 

親とと一緒に3人で

暮しているそうだ。

 

捜索再開、

少し迷いながらも、

ポツンと一軒家

辿り着いた。

 

 

 

 

突然訪ねた捜索隊

快く迎えてくれた親子

さん93歳、

さん70歳。

 

ちょうど草刈りから

帰ってきた

ポツンと一軒家あるじ

たやまかずのりさん64歳。

 

林業といっても電力会社の

下請けで林業に従事している

かずのりさんは山の中に伸びる

送電線に引っ掛かった危険な

木や枝を伐採するのが仕事。

 

平成19年に父が他界し、

3人暮しになる。

 

たやま家の長女()は

地元の中学校を卒業後、

集団就職で熊本県を離郷。

 

愛知県の織物工場に就職。

 

その後、結婚はしたものの、

30歳の時に離婚して以来、

実家に戻って生活。

 

 

   

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たやま家はかずのりさんの

下にがいる3人姉弟

 

は熊本市内で

車整備工場を経営。

 

結婚して、子供

いるそうだ。

 

昭和57年7月に

熊本県南部を中心に

1日400㎜の集中豪雨が

発生し、球磨川が氾濫。

 

流域一帯に

甚大な被害を

もたらした。

 

当時たやま家は

今と同じ場所に

かずのりさんの祖父

建てた築40年の平屋に

住んでいたが、大雨に

よる水害は山奥の

たやま家にまで及び、

目の前の川が氾濫し、

家屋が浸水してしまった。

 

当時は川岸の土地を守る

護岸ブロックが無く、

土手の土がむき出しに

なっていた。

 

水害の後、護岸整備を

することになり、

水に浸かった

たやま家も解体した。

 

裏山を削り敷地を広げ、

削り出した土を均して、

敷地の高さを1mほど上げた。

 

そして、新たに建てた

住居が現在のたやま家。

 

家の脇には鯉の池があり、

昔は室内でも鑑賞が

できるようになっていた。

 

20年前まで両親

かずのりさんの親子3人で

地元の森林組合に勤務。

 

ポツンと一軒家から毎日

10㎞以上離れた山へ通勤。

 

広さがおよそ18万坪もある

木が1本も生えていない山に

3年以上かけて杉と檜を

10万本以上植林したことが

あるという。

 

昭和40年に電気が開通。

 

 

   

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車が通れる道も電気もない

たやま家にかずのりさんの母

来たのは19歳の時、昭和18年に

お見合い結婚した。

 

トマトやナス、ショウガなど

かずのりさんは約10種類の

野菜を栽培している。

 

庭に梅の木があり、

かずのりさんの母

実母に教えられて、

毎年、梅干しを作っている。

 

今年は、かずのりさんが

梅干しを漬ける。

 

その方法は、

2週間前に塩で揉んで

漬けた紫蘇を用意し、

1週間 天日干しした

梅の実を漬け樽の

底に並べる。

 

塩漬けした紫蘇を

絞り水けを切り、

漬け樽の底に並べた

梅の実の上に紫蘇を

千切って敷き詰める。

 

その上にまた、

梅の実を並べる。

 

梅の実と紫蘇を交互に

何層も重ね、紫蘇から

出た汁を注いで浸す。

 

梅酢を注ぐと、

仕込みが終了。

 

密封して、重石を載せて

約1ヵ月保存。

 

かずのりさんの

長女家族が番組の取材を

知って訪問。

 

昔は集落に子供

20、30人いて川を

堰き止めて、水泳場に

なっていた。

 

 

   

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