今回は3月22日放送の
ビーバップ!ハイヒール
で放送された次の元号も
わかるかもしれない
元号物語を振り返って
みたいと思います。
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まもなく終わろうと
している平成。
Hey! Say! JUMPは、一体
どうなってしまうのか?
(ガチンコ!ナレーション風で!)
それはさておき、
次の元号が気になります。
天皇陛下のご希望により、
平成31年4月30日に
天皇陛下が退位する事に
決まりました。
それにより、元号も
変更となる。
そこで今回は、ほとんど
知られていない元号に
ついての事が明らかに。
元号が誕生したのは、
古代中国とされている。
武帝が、建元と呼ばれる
元号を定めたのが始まりで、
治世を記号で表すことで、
朕が空間だけでなく時まで
支配していることを示した。
以後、ベトナム・朝鮮半島の
王朝でも用いられるようになり、
日本でも、645年の大化という
元号が初めて使われた。
以来、歴史の目盛りやくとして
1300年以上使われてきた元号は
247個で、ずっと漢字二文字で
表すと思っていたが、4文字の
時代も存在していた。
また改元は、皇位の継承の
時ばかりではなく、明治に
なるまでは様々な理由で
コロコロ変わっていたそうです。
大地震や大火事、疫病などの
災害が起こった時、
空に彗星が現れた時に
改元によって災いを断ち切り、
新たな方向性を示そうと
していたようです。
珍しい白い雉が献上されると、
白雉(650年~)へ!
赤い雉になると、
朱鳥(686年~)
対馬で金鉱が発見されたという
一報に喜んだ天皇が改元を発表、
縁起がよく大宝(701年~)に。
しかし、金鉱の発見は、
天皇と近づきたい者が
きょうじたウソだとわかり
3年で改元された。
東京大学 史料編纂所
山本博文教授は、
元号には その時代の
日本人の思いやりが期待が
こめられているという。
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これまで一番短かった元号は、
1238年12月30日~
1239年3月13日迄の暦仁。
元号は全て天皇が考えていた
訳ではなく、文章博士と呼ばれる
学者達で、文字や文献の
スペシャリスト。
元号の出典は全て中国の古典、
文献の感じを組み合わせ
元号にしていた。
室町時代は、戦乱を収めようと
願い、応仁に改元。
応仁(1467年~)維条典訓
「仁之感物 物之応仁」
・・・人々への思いやりによって、
世を治める。
そんな思いが込められるも、
応仁の乱へ。
織田信長は、天正(1573年~)
老子「静謐者為天下正」
・・・世の中が静かになる事が
天下の正しい道
と変えさせた。
信長の死後、
秀吉によって天下統一。
ちゃんと願いが込められ、
今まで247の元号に使われた
漢字は504個だが、重複している
漢字も多いので、実際には
72文字しか使われていない。
これまでに元号に多く使われた
漢字は、永の29回で
元と天が、27回、
治が21回と続く。
奈良時代には、
亀・宝の付く元号が多く
平安時代には、平・和の
付く元号が多かった。
平成の成は初めて使われた。
明治を考案したのは、
元福井藩主・松平春嶽。
だったが、今までの元号は
すべて天皇が決めてきたもので
春嶽さんの一存で決めると
反発が起こると考えていた。
慶應4年9月7日に、
春嶽の考えた候補の中から、
天皇がくじを引いたのが
明治だったという。
明治とは、天下が明るい
方向に向かって治まる
という意味。
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