今回は7月12日放送の
ビーバップ!ハイヒール
昭和の名曲に秘められたドラマ
を振り返ってみたいと思います。
昭和歌謡の物語を教えてくれるのは、
音楽評論家 合田道人さんで
昭和歌謡と呼ばれる歌には、
その作られた経緯、時代、
歌い継がれたからこそ
生まれてくる理由があるという。
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卒業式の定番ソング、
海援隊の贈る言葉。
この歌詞には、武田鉄矢さんの
ある思いが込められているという。
1975年12月31日、大晦日に皿洗いを
している武田鉄矢さん当時26歳。
1974年には海援隊の母に捧げるバラード
で紅白に出場するくらい人気があったが、
その強烈な印象から際物扱いされ
売れなくなってしまい、妻と皿洗いの
バイトをしなければならなかったそうだ。
そんな妻に申し訳ないと思う武田さんは、
妻からここがどん底だから
よーく見とこうねと投げかけていた。
それでも武田さんは、絶対に売れてやる
と決意するも、2年経っても売れず、
世の中から忘れかけられていた。
些細なことで喧嘩になり事もあったが
ある時、映画監督の山田洋次さんから
電話で武田さんに映画の出演オファー
の話を持ってきた。
山田監督は、武田さんの素朴で純朴な
姿に惚れ込んでいたのだという。
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その映画とは幸福の黄色いハンカチ
で、冴えない青年役を演じた武田さんが、
俳優として活躍出来るようになった。
そして1979年に、3年B組金八先生の主演に
抜擢された武田さんは、ドラマの主題歌も
海援隊が制作するようお願いされることに!
ところが、ドラマがクランクインしても
主題歌は未完成のままだったが、ある日
海援隊の千葉和臣さんが曲を作ってきた。
それは、千葉さんがたまたま聴いていた
ラジオ番組で映画のエデンの東のテーマ曲
が流れ、それに誘発され曲を作った。
エデンの東に主演していた
ジェームス・ディーンは
全てを捨てて旅立つ
さよならの化身みたいな感じだと
思った武田さんは、過去の悲しい
別れの事を思い出す。
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大学時代に武田さんは、
福岡の街中で片想いの女性に
しつこく迫り、変態扱いされて
逃げられてしまったこと。
贈る言葉は卒業の歌ではなく、
失恋ソングだったようだ。
だが、武田さんは
その女性だけでなく、ある女性への
思いも込めていたという。
結婚3年目に妻と大喧嘩した時、
別れ話を口にされ、武田さんは
激怒した。
俺は酒もタバコも多いから、きっと
あんたより先に死んでしまうだろうよ。
でも俺が死んだ後になって、
君は残りの人生で俺を思い出すだろうよ。
あの人ほど私の事を真剣に
愛してくれた人はいなかったって
その夫婦喧嘩の思い出から
描かれたこのフレーズ。
曲が完成!
が、ドラマに曲が合わなかった。
生徒に贈る歌ではなく、
愛する女性への言葉。
でも、時間がなかったので決定!
ドラマも主題歌も大ヒットし、
紅白へも6年ぶりに出場した。
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