今回は、6月16日放送の

消えた天才

体操界の消えたレジェンド

を振り返って

いきたいと思いますので

宜しくお願い致します。

 

日本が五輪で獲得した

メダル数が一番多い競技は?

 

1位 体操 98個

2位 柔道 84個

3位 水泳 80個

 

体操界 初のメダルは、

1952年のヘルシンキ大会!

 

そんな長い歴史を持つ

日本体操界で、伝説といわれる

ある天才がいるという。

 

その天才について語ったのは、

1988年 ソウル五輪に出場し、

団体で銅メダルを獲得した

池谷幸雄さん。

 

その時、池谷さんは17歳の

高校生で、1992年 バルセロナ五輪

でも団体が銅メダル、床では

銀メダルだった体操界のレジェンド

 

池谷さんに天才について

聞いてみると、その当時は

誰もが知るレジェンド

その選手が居なければ、

モントリオール五輪での

全体の金メダルはなかった

と思うという。

 

1976年 モントリオール五輪

体操団体金の立役者!

 

ロサンゼルス五輪 金メダリスト

具志堅幸司さんは、今でも鮮明に

覚えていて一生忘れることは

出来ないあの偉業を達成したのは

しかいないと話す。

 

その天才とは、五十嵐久人さん。

 

 

   

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当時、体操黄金期で

エースの塚原光男さんを筆頭に、

笠松茂さんなどのスター揃いで、

五十嵐さんも日本代表として

名を連ねていたそうです。

 

1960年 ローマ大会から

1972年 ミュウヘン大会まで、

連続で金メダルを獲得していた

日本にとって前人未到の5連覇が

かかった大事な大会であった。

 

しかし、最終種目の時点で

日本ソ連との差は0.1だった。

 

そこで五十嵐さんは、

後方伸身2回宙返り降りをし、

完璧に着地を決めた。

 

この技は、世界初の大技!

 

具志堅さんは、体を伸ばして

2回回る事自体が発想に

なかった、オリンピック史上

歴史に残る完璧な演技だったと

振り返った。

 

こうして五十嵐さんは、9.85

というここまでの最高得点を

叩きだし、ソ連を大きくリード。

 

5大会連続の金メダルを獲得した。

 

そんな五十嵐さん、実は補欠

現地に行ってから入れ替わる事は

まずないという日本男子体操界で

史上初の補欠正選手となっていた

池谷さんはいう。

 

次のモスクワ五輪の中心選手だと

思わていたが、五輪から1年半後、

突然引退、27歳で五十嵐さんは

体操界から姿を消してしまった。

 

 

   

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あれから43年、五十嵐さんは

新潟県に居た!

 

五十嵐さんによると、大技を

決めて着地した瞬間の会場は、

大喝采だったという。

 

五十嵐選手に起きていた

3つの奇跡があった。

 

「補欠」ゆえに超リラックス状態で

世界初の大技成功

 

 

選手村で、レギュラー選手

本番に向けて緊張感に包まれる中、

五十嵐さんは補欠補欠は出場

した事がない為、緊張が

ちょっとしかなかった。

 

練習で何気なく大技にチャレンジ

してみた五十嵐さんが、

後方伸身2回宙返り降り

を成功させた。

 

 

エース笠松が盲腸で急遽出場

 

試合5日前で五十嵐さんが

出場決定となり、日本に

帰りたかったと話した。

 

 

本番中にまさかの

幽体離脱をして大成功

 

演技が始まり、回り始めた瞬間

幽体離脱のような体験をし、

極限まで集中して大成功!

 

 

オリンピック後、国内大会に

出場するが、五十嵐さんは

ミスを連発、大技も1回も

決める事が出来ない。

 

モスクワ五輪への過剰な

期待を長い期間受け、

プレッシャーに!

 

毎日のように降りかかる

プレッシャーに耐え抜く

事が出来なかった

五十嵐さんは、怪我の

影響もあり、引退していた。

 

現在は、新潟大学の名誉教授で、

非常勤講師として実技を教える

事もあるそうです。

 

 

   

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