今回は12月13日放送の
ビーバップ!ハイヒール
で放送された
名物料理と産業の関係
の回を振り返って
みたいと思います。
福岡県にある世界文化遺産
官営八幡製鉄所は、
明治 大正 昭和と製鉄で日本の
産業を支えたが、鉄だけでなく
中華の定番である餃子の誕生にも
大きく関係しているという。
それは、第二次世界大戦中の満州
(現・中国東北地方)のこと。
中国でうまれた餃子は、
蒸餃子か水餃子しかなく、
寒い満州では、冷めた餃子を
温めていたそうだ。
当時、日本で餃子はほとんど
知られていなかったそうだが、
満州で暮らす日本人は、
美味しさがわかっていた。
日本の敗戦後、満州から多くの
日本人が博多へ移動し、彼らの
職場となったのが八幡製鉄所で、
重労働の時に疲れて思い出すのが、
満州で食べた餃子の味。
そんな彼らは餃子を最初から
焼いて食べると、美味しさが
評判となり、日本独自の
焼餃子という文化が出来たとか。
焼きたての美味しさを味わうため、
彼らは餃子を焼く鉄板を皿代わりに
することを考え、鉄鍋餃をが誕生する。
その後も日本を支え続けた
八幡製鉄所だったが、時代の流れ
とともに役目を終えてしまう。
ところが、鉄鍋餃子の味は人々に愛され、
北九州では鉄鍋餃子を出すお店が
多数存在しているという。
かつて産業が栄えた地域では、
労働者の力のもととなり、彼らに
愛された独自の名物料理が生まれている。
その多くは、産業がなくなった今も
ご当地グルメとして定着しているようだ。
そんな新たな食のルーツ、魅力を
教えてくれるのは、食文化研究家の
野瀬泰申さん。
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野瀬さんは30年以上にわたって、
全国の食文化を研究してきたという。
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大正時代に第一次世界大戦勃発で
北海道では羊の飼育が盛んに。
それは、これまで輸入に頼ってきた
羊毛が、ヨーロッパから手に入らなく
なり、軍服や軍隊用の毛布が
作れなくなってしまったため。
綿羊百万頭計画が打ち出され、
飼うのに適した北海道で羊の
数が激増したが、第二次世界大戦
が終わって輸入が再開されると、
羊毛産業が急激に衰退してしまっていた。
いらなくなった羊は、次々と食用となり、
北海道でジンギスカンが広まった。
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モーニング文化が盛んな
愛知県では、リーズナブルな
値段で豪華なつけ合わせが
ついてくるそうです。
愛知県のモーニングを豪華にさせた
産業とは、織物業だという。
織物業では、機械音などが大きく
来客対応に不向き。
そこで商談は喫茶店という
パターンが定着したのだそうだ。
コーヒーだけでなく、
軽食が食べられる
モーニングサービスの
需要が増加。
各喫茶店がサービスを競い合い、
愛知のモーニングは豪華になった。
今では、わざわざ喫茶店に出向いて
商談する文化はなくなったそうですが、
豪華なモーニングのセットは、
この土地に根付いているそうです。
室蘭の焼きとりは豚肉
これは室蘭の産業が関係している。
明治時代、炭坑や製鉄で知られた
室蘭は、労働者が集まる。
昭和に入り、日中戦争が始まると
養豚産業がうまれることに!
それは、食用や軍隊用の靴を
作るための豚革が必要で栄えたが、
当時の労働者は、食用の豚肉は、
売り物になる大事な商品なので
食べたくても食べられなかった。
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