今回は2月27日放送の
ビーバップ!ハイヒール
大阪橋ものがたり
の回を振り返って
みたいと思います。
大阪・中之島に
多数存在する橋。
堂島川と土佐堀川に挟まれた
中之島にある橋は、24本!
かつて水運が栄えた大阪の
象徴となっているが、橋は
単に場所と場所を繋げている
だけではなく、そこには
人と人を繋ぐ知られざる
ドラマが秘められているという。
日本を代表する漫画の神様、
手塚治虫先生と橋にも物語が
隠されているという。
昭和20年に大阪大学の医学部に
通っていた手塚先生は漫画家として
デビューしたのは医学生時代だった。
昭和22年、漫画家を目指していた
手塚先生は、大学の講義中も教授の目を
盗んで漫画を描いていたそうだ。
それが教授に見つかり怒られた様子を
「がちゃぼーい代記」という
自伝漫画に描き残していた。
それでも描き続け、書いた漫画が
完成すると当時、大阪松屋町にあった
マンガ専門の出版社に持ち込んだ。
そんな手塚先生は、出版社に
出向く前に必ず行く場所があった。
それは、橋の下。
そこで鞄を開けて角帽と学生服を
しまい込み、ジャンパーとベレー帽を
身に付ける。
医者の卵は、たちまち駆け出しの
漫画家と変じて出版社へ。
それは出版社に、学生だと
ナメられないようにするための
手塚先生のアイデアだったとか。
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橋の下で着替える様子を手塚先生は、
「がちゃぼーい代記」にも描き
残していた。
その場所とは、
今も中之島に架かる難波橋。
漫画家 手塚治虫先生は、この
難波橋の下で誕生した。
大阪にある数多くの橋、
そこには行きかう人々の
ドラマが隠されている!?
そんな橋の魅力を教えてくれるのは、
大阪大学教授の橋爪節也先生。
橋爪先生は、橋というのは、物と物、
あるいは場所と場所をつなぐだけではなくて、
人と人をつなぐものでもあるという。
橋爪先生によると、大阪は昔から
八百八橋という呼び方があったが、
八百八本あったのではなく、数が
多いという意味だったと話す。
かつて大阪は”天下の台所”と呼ばれ、
全国の物産が船で運ばれていた。
水運のために堀や川が多く造られた結果、
橋も多く架けられた。
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百獣の王が吠える場所
天満と北浜を結ぶ難波橋。
大阪の他の橋にはない、
ある特徴を持っているようだ。
それが、ライオン像。
大正4年制作 高さ3.5m 重さ18トン。
このライオン像は、難波橋の北と南に
2頭ずつ、計4頭設置されているが、
5頭目も存在している。
今から100年以上前の大正時代 初期、
彫刻家の天岡均一さんは当時、難波橋に
設置するライオン像の制作を大阪市から
依頼されていた。
ある日、一人の男が天岡均一さんを
訪ねにやってきた。
その男は当時、北浜で莫大な在位をなした
株トレーダーで、北浜太閤とも呼ばれていた
松井伊助さん。
松井さんが活躍した場所は、
北浜の大阪証券取引所。
難波橋はその大阪証券取引所の
目の前の橋だった為、難波橋への
思い入れが人一倍強い。
松井さんはライオン像をもう1体
造って欲しいと天岡さんに
お願いした。
この一言が天岡さんの心を動かし、
5頭目のライオン像が制作された。
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