今回は、11月19日放送の
ネーミングバラエティー
日本人のおなまえっ!
都道府県シリーズ 宮崎県を
振り返ってみたいと思います。
宮崎県 名字人口ランキング
1位 黒木(全国308位)
2位 甲斐(全国304位)
3位 河野(全国221位)
4位 日高(全国346位)
5位 佐藤(全国1位)
徹底取材すると、
宮崎のおなまえは独自の
進化を遂げた事が判明した?
日本では古来より、
針葉樹のことを
黒木と呼んでいた。
「広辞苑第七版」岩波書店
葉は深緑色。
年間を通して葉が落ちず、
黒々と見えるために
そう呼ばれるようになったと
考えられている。
温暖で雨の多い気候の宮崎は、
九州山地を中心に針葉樹の育成に
適した土地が多く、黒木の国。
宮崎で伐採される良質の針葉樹の
黒木は、幹が真っすぐ伸び、
建築材として加工しやすい。
建物や船・橋の材料に
もってこいだった。
江戸時代、宮崎県の黒木は
木材の一流ブランドに成長!
東大寺 大仏殿 大屋根を支える
2本の梁に黒木が使われた。
300年以上、経った今も
大屋根をしっかり支えている。
宮崎県の木材が、その価値を
高めた事で黒木様が名字人口
1位に上り詰めたことに関係が
あると考える専門がいた。
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元宮崎県 県史編 室長
永井様によると、
黒木という名字は宮崎の
歴史だという。
特に水田の少ない山間地帯では、
黒木というような成木を
育てている。
黒木姓を名乗った人は、
生活の場を作って
生きていくという
村を作った人だと
永井様は思っている。
太閤地検以来、庶民の収穫が
正確に把握されるようになり、
年貢取りたての圧力が強まる。
そんな時、村の人が
目を付けたのは黒木。
この頃の江戸では人口増加により、
街が拡大!
江戸時代に100回以上の大火が
あったとされる。
東京消防庁調べ
その影響もあり、大量の木材が
必要とされた。
街の発展に伴い、宮崎の”黒木”は
貴重な収入源になった。
ところが、林業を営むのは
容易ではない。
重機もなかった時代だったので、
全て手作業、危険が伴う重労働。
そんな林業を営む村人たちを
一つにまとめたものがお名前
だったと専門家は推測している。
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河野サマ
全国ではカワノサマが
47%で、コウノサマは53%
宮崎県では97%がカワノサマ。
宮崎県 日向市細島地区で
協力いただいたのは、
河野(かわの)豊サマ。
河野(かわの)サマに、
カワノサマのルーツに
つながる場所があるというので、
見せてもらうと、
小さいお宮があった。
河野(こうの)通有という
武将がいて、元寇の際に
河野(こうの)水軍として
活躍して、兄弟 通有と
イホリの2人が細島に来たと
言い伝えがある。
この河野(こうの)一族の存在が、
宮崎に河野(かわの)サマが多い
理由に繋がってくる。
河野(こうの)一族を率いた
河野(こうの)通有とは、
鎌倉中期 愛媛県を中心に
勢力を誇った武将。
河野(こうの)水軍を束ね、
元寇で功績をあげた。
水軍とは、江戸時代の
兵法書の中で登場する用語で、
有名なのは河野(こうの)氏と
関係の深い瀬戸内海の村上水軍で、
当時は海賊と呼ばれていて、
自分の縄張りを通る船から
通行料を取るのが生業。
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