今回は2月15日放送の
世界の何だコレ!ミステリー!?
雪山に奇妙な遺体
を振り返っていきたいと思います。
雪山に奇妙な遺体!
外傷なし上半身は裸
新潟県と群馬県の
県境で起きた奇妙な事件。
その奇妙な事件を追い続ける
NPO日本ツキノワグマ研究所
所長 米田さんが日本国中の
熊のいる県の新聞を
100年近くめくって調べて
新潟の新聞で見つけた事件。
1887年(明治20年)4月1日
新潟県南魚沼郡清水村(当時)、
雪山に向かった5人の猟師は
クマ狩りへ出発。
村人たちが生活する上で
熊猟が欠かせないクマノイ
(熊の胆嚢)は薬として用いられ、
当時 クマノイ1つで米30俵が
買えるほどの高級品。
そう簡単に手に入るものでは
ないので、約30㎏の米を持って
標高2000mに近い山が連なる
場所に向かった。
それは、群馬県側にある
現在の宝川の源流付近。
5人の猟師が10日以上も
戻らないため、捜索隊が出動。
すると、山小屋の中に横たわって
いたのは、狩りを仕切るリーダーで
極寒の中、片袖を脱いでいた。
持参した米は半分残っていて、
銃と熊槍もそのまま。
ほかの猟師たちは、
銃や熊槍も持たずに
上半身裸で雪の中に
埋まっていた。
みんなバラバラの場所で亡くなり、
上半身裸で全員外傷なし。
また、彼らの手は
紫に変色していた。
Sponsored Links
当時の警察は
調べるすべもなく、
未解決のまま
136年が過ぎた。
あまりにも不可解な事件のため、
地元に伝わる磯次郎婆という
鬼の仕業ではないかと新聞に
書かれていたが、米田さんは
怪談ではなく、理由があるはず
だという。
山岳医 大城さんが考えられる
こととして挙げたのは矛盾脱衣。
4月1日のうちに山小屋に向かい、
猟師たちも3日程度は何事もなく、
普通に過ごしていたと思われる。
熊を求めて連日山へ行き、
山小屋に獲物の痕跡がないことから、
おそらく何日経っても熊を捕え
られずにいた。
米田さんと大城さんは、
ある記録に注目。
それは、4月4日の新潟市内の
最高気温は4.7℃なので
標高2000mだとすると、
山の上は気温が氷点下で
風が吹けば-10℃以下。
山の上では雪が吹雪いている
イメージで、矛盾脱衣を
起こしたのではないか。
氷点下とはいえ、熊を探して
歩き回れば汗をかく。
汗と雪で濡れた服は
体力だけでなく、
体温も奪う。
それでも熊を求めて
歩いたのではないか。
熊を見つけられず、
山小屋に戻ったのだろう。
5人はおそらく、低体温症に
なっていたと思われる。
Sponsored Links
大城さんによると、
内臓の体温が35℃以下に
下がってしまい、脳の温度も
下がっているという状態。
火床に倒れていたことから
リーダーは皆が凍え死ぬのを
避けるため、火を起こそうとした。
その時に1人が山小屋の外へ、
そして1人、また1人と出て行き
服を脱ぎ始めた。
そのまま力尽きたのでは
なかろうか。
人間は寒さにさらされると、
体温を維持しようとする。
低体温症になっていくと、
意識が朦朧として、
その中で矛盾脱衣が
起きる人がいる。
矛盾脱衣とは、体温を感じる
脳の働きが障がいされ、
寒いはずなのに、
服を脱いでしまう現象。
リーダーが1人で山小屋にいた
理由は、最後まで皆のために
火をつけようとしたのではないか。
紫色に変色した手については、
実際に見ていないので確証は
ないが、おそらく凍傷ではないか。
この事件は4月に起きたが、
現代においても春が一番、
低体温症の遭難死が多い。
その理由は、冬型の天気に
急に変わること、
暖かいため春の装備で
登ってしまうことだという。
Sponsored Links