今回は4月2日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

海から遠い山奥

青い大きな屋根の建物が

茶色い大小2つの屋根も

何か低木の畑が?

衛星写真で見つけた宮崎県の

ポツンと一軒家を目指し、

最寄りの集落から捜索開始。

 

最寄り集落に到着、

建物の前にいた親子

衛星写真を見てもらう。

 

自分にはわからないと、

この地域に詳しい人を

紹介してもらうが、

留守だった。

 

さらに4軒先のお宅を

紹介してもらうと、

目指すポツンと一軒家

柚子農家を営む

かんめらおさむさんの

作小屋ではないかと

教えてもらう。

 

捜索再開。

 

何軒か小さな集落が

あるとのことで、

そこでもう一度

聞き込みしようと

考えていたが、

通行止めの看板が!

 

とりあえず、進める所まで

行くことにすると、小さな

集落があった。

 

分かれ道があり、

どちらを進んだらよいか

わからないため、聞き込み。

 

散歩をしてる方を見つけ、

話を聞いてみると、

この方がポツンと一軒家あるじ

かんめらおさむさん74歳だった。

 

かんめらさんが暮らすふもとの

自宅から山の上の作小屋までは、

およそ5㎞。

 

丁度これから柚子畑で

作業があるというので、

かんめらさんの車の後に

ついていく。

 

悪路を進みながら、

目指すポツンと一軒家

辿り着いた。

 

 

 

 

   

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かんめら家では椎茸栽培や

林業をし、戦後は、

炭焼きとかをした。

 

母屋かと思っていた建物は

作小屋で、トタン屋根は

後でつけたという。

 

作小屋の中では昔、

牛小屋があって、

肥育や農耕として

2、3頭飼っていた。

 

 

元々は、山仕事が忙しい時に

寝泊まりできるようにと

建てられた作小屋。

 

だが、麓の家にある自宅から

山道を歩いて1時間以上も

かかるため、かんめら家族は

雪で行き来出来ない真冬以外、

山の上の山小屋で生活していた。

 

 

おさむさんは12歳まで椎茸栽培や

山仕事をしていた両親

歳の離れた姉と作小屋暮らし。

 

かつてこの辺りの山には

80軒ほどの作小屋が

あったそうだが、今では

かんめらさんのも含めて、

11軒だけになってしまった。

 

150年以上も前に建てられ、

50年ほど前に作小屋と牛小屋の

屋根を一つにした。

 

お風呂は火が燃え移ると

火事になるので、

ちょっと離れたところにあった。

 

お風呂などで使う水は、

ここよりちょっと高い所から、

溝を作って水をずーっと

流してきて使ってた。

 

 

   

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今はホースで

水を引いているものの、

水源は昔と同じ。

 

おさむさんは定期的に

急な山の斜面をのぼって、

水源の掃除に行っている。

 

小学校を卒業すると、

おさむさんは親元を離れて、

宮崎市内の中学校に入学。

 

高校卒業後は、大阪にある

家電メーカーに就職。

 

その頃も両親は作小屋で

生活をしていたが、今から

40年ほど前に捜索隊

上ってきた道が開通。

 

そこからは車で行き来が

出来るようになったので、

作小屋に住んでいる

必要がなくなり、麓の家から

毎日、山仕事に通うように。

 

32年前に親が他界し、

その7年後には親も他界。

 

両親の死後、長兄が跡継ぎに。

 

しかし、長兄も19年前に亡くなり、

末っ子だったおさむさんが

定年間近の59歳で会社を辞め、

大阪から宮崎の実家に戻り、

かんめら家が所有する

田畑と作小屋を継承。

 

その作小屋と田んぼを

挟むようにして南向きの斜面に

多数の低木がある。

 

これは元々、亡兄が植えた20本を

15年前に跡を継いだおさむさんが、

200本までに増やした。

 

それは柚子で、実を獲る時に

獲りやすくするため低くしている。

 

収穫の時期で、色と大きさが変わる。

 

 

 

   

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