今回は2024年月日放送の

チコちゃんに叱られる!

なぜ クレーンゲームに

ぬいぐるみが入っている?

を振り返ってみたいと

思いますので

宜しくお願い致します。

 

 

 

何も考えないで、

のほほんと暮していると

チコちゃんに叱られますよ。

 

 

なぜ クレーンゲームに

ぬいぐるみが入っている?

 

小形さんが韓国で山積みの

ぬいぐるみを全部買ったから

 

詳しく教えて下さるのは

クレーンゲームを製造する

大手ゲームメーカーの役員

山下滋さん。

 

山下滋さんはクレーンゲームに

ぬいぐるみを最初に入れたのは

弊社です。

 

当時、取締役だった小形武徳さんの

活躍によるところが大きいです。

 

クレーンゲームはわが社にとっても、

ゲーム業界にとっても、

とても重要なプロジェクトでした。

 

ゲームセンターの華、

クレーンゲーム。

 

そこで、ひときわ大きな

存在感を放つが、ぬいぐるみ。

 

奇跡の組み合わせは、

あるの執念が

未来を切り開いた。

 

これは、クレーンゲームで

ぬいぐるみと夢をつかんだ

者たちの熱き挑戦の物語である。

 

 

チコジェクトX

挑戦者たち

 

日本がディスコで

盛り上がっていた1980年代。

 

子どもたちはゲームに

夢中だったが、街の

ゲームセンターは、

ビデオゲームが

よくみえるように

照明が暗かった。

 

 

   

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ゲームセンターは

不良のたまり場で、

暗い・汚い・怖いの3Kで

子どもには近寄りづらい

場所だった。

 

当時、既にクレーンゲームは

あったが、主な景品はタバコや

ライター、ネクタイピンで、

子ども女性は見向きも

しなかった。

 

そんな中、46歳で小形さんは

取締役に就任。

 

小形さんは豪快な性格の一方で、

数字の単位を間違えるというのは

よくあったという山下さん。

 

そんな小形さんが足しげく

通ていた場所が蒲田で焼き鳥を

肴で夢を語った。

 

飲んでいる最中は、ほとんど

小形さんの話。

 

日本も豊かになって、遊びの文化が

中心的産業に必ずなると、3~4時間

熱弁した。

 

何としても、ゲームセンターの

イメージを変えたい!

 

 

1985年にピンク色のポップな

デザインのクレーンゲームを

開発したが、肝心の景品は

ゲームセンターが風営法の

規制対象になった。

 

警察庁が決めた景品価格の

上限が200円(1986年当時)で、

チープな雑貨系しかなかった。

 

立ちはだかる200円の壁。

 

 

1986年に小形は韓国の

ソウルにいた。

 

アジアの市場開拓が目的で

明洞の街を歩いていたら、

ゴザの上にぬいぐるみを

山積みにして売っている

露天商のおばさんと

偶然出会った。

 

 

   

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ぬいぐるみなら子ども

女性にもアピールできると

思ったが500だった。

 

でも、それは小形さんが

単位を間違えたのか、

当時の韓国のレートで

1ウォンが20銭くらい。

 

500ウォンは100円で、

あっさりと200円の壁を

乗り越えた。

 

翌日、日本に帰る予定だったが、

空港に行く前にもう一度、

仕入れ先を教えてほしいと

店を訪ねたが、警戒して

教えて貰えない。

 

心の壁が立ちはだかった。

 

帰国時間も迫り、仕入れ先を

教えてくれたらこのぬいぐるみは

全部買うと言うと、教えてくれた。

 

滞在日程を延長し、工場に行き、

大量のぬいぐるみを購入し、

日本に送った。

 

クレーンゲームがバカ売れした。

 

その後、1997年に小形さんは

副社長に就任した。

 

その後、プリントシール機も

大ヒットし、ゲーム業界を

けん引し続けた。

 

 

   

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