今回は2月7日放送の

ビーバップ!ハイヒール

大阪環状線ミステリー

の回を振り返って

みたいと思います。

 

1日に100万人以上が利用するという

JR大阪環状線が開通したのは、

1961年で19駅をぐるりとループ状に

繋いでいるが、様々な謎も

隠されているという。

 

 

謎

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環状線のターミナル駅 JR大阪駅の

2階の渡り廊下から、大阪駅の

ホームを見下ろすと、古びた小屋?

のようなものが建っている。

 

これは一体…?

 

 

 

大阪駅が開業したのは1874年

(明治7年)で、大阪神戸を繋ぐ

鉄道の起点として、旅客の他、

貨物の集積地でもあったそうな。

 

当時、物流は船を使用しており、

駅に集められた貨物を馬車で

大阪湾まで運ぶ事になり、時間も

かかってしまっていた。

 

そこで官営鉄道は、問題を解決する為、

堂島川大阪駅をつなぐ水路を掘り、

駅に船溜まりを作った。

 

当時の大阪駅は列車だけでなく、

貨物船も直接、乗り入れていたようだ。

 

しかし、列車から荷物をあげる時、

人の力だけでは手間がかかってしまう

事から、貨物用エレベーター

作られた。

 

そのエレベーターは、積み荷の上げ

下ろしを効率よく行うために使用され

ていたもので、この謎の小屋の正体は

貨物用エレベーターの跡で、現在も

修復を重ねながら、現役の業務用

エレベーターとして使用されて

いるそうです。

 

 

   

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都会の中を走る大阪環状線は、

踏切を減らすためにほとんどが

高架になっている。

 

ところが、京橋森ノ宮区間は

高架ではなく地上を走っている。

 

それは大阪城が関係している?

 

戦時中、そこにあったのは

大阪砲兵工廠!

 

太平洋戦争当時、東洋一と呼ばれた

巨大兵器工場で、一般人は立入禁止、

周囲も高い壁を設置し、内部を

見られないようにしていた。

 

それほどの軍事機密により、

電車の中から見られないように

軍部京橋森ノ宮間の高架を

禁止にしていた。

 

 

鉄道アナリスト 川島令三さんは、

大阪環状線には数々のミステリーが

存在しているという。

 

 

JR野田駅 外回り線ホームには、

環状線貨物線の線路が走っているが、

その外側に謎のスペースがあり、

下はアスファルトになっている。

 

その先を見ると、約200mの

長すぎるスロープ!

 

これは一体…

 

 

1931年(昭和6年)当時、東洋一

とよばれる大阪中央卸売市場

野田駅付近に誕生!

 

鮮魚や青果を新鮮なまま市場に

届けるため、大阪市場線という

市場直通の貨物路線が作られていた。

 

その路線は、野田駅で分岐して

高架を下り、急な曲線を描きながら

大阪市場駅にむかっていたが、

昭和の後半になると輸送方法が

トラックにシフトされ、

大阪市場線は廃止になった。

 

長いスロープは、大阪市場線

レールの跡だった。

 

現在、市場に向かう線路の跡は、

野田緑道という遊歩道になっていて、

大きなカーブを描きながら

中央卸売市場へ繋がっているという。

 

 

   

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JR京橋駅の内回り線ホームと

外回り線ホームを見てみると、

石垣の色が違う。

 

 

 

 

1945年8月14日 大阪大空襲

大阪城付近が火の海に・・・

 

京橋駅は大阪城の近くにあり、

付近にいた人々は京橋駅の下に

駆け込んでいたが、流れ弾が

外回り線ホームを直撃し、

700人以上が犠牲者になってしまった。

 

その後、外回り線だけ新しい石を

積み直したため、内回り線と比べて

まだ新しいのだそうです。

 

JR京橋駅 南口の一画には、

空襲で亡くなられた方を

祀った慰霊碑が佇んでいる。

 

 

   

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