今回は2月13日放送の
ビーバップ!ハイヒール
大阪の凸凹スポット
の回を振り返って
みたいと思います。
普段、何気なく見ている風景も
凸凹に注目してみると、壮大なロマンが
隠されているかも?
そんな凸凹の魅力を教えてくれるのは、
大阪高低差学会 新之介代表。
新之介代表は、地形散歩ブームの火をつけ役で
凸凹に隠された秘密や歴史を解明している。
だがその後、阪急電車になる前の
箕面有馬電気鉄道が淀川の側に
十三駅を設置したことで1925年に
十三という地名が復活していた。
大阪城の隣の広場に隠された秘密とは?
それは、あの広場の下には
3つ貯水槽があること。
明治時代、かつて大部分が海だった
大阪は井戸を掘っても海水しか出ない。
浄水場も整備されていなかったので、
コレラや赤痢などの感染症が
流行してしまっていたという。
そこで、安全な水を供給できる
浄水場を桜ノ宮に建設。
さらに、市内でも最も標高が高い
天守閣の隣に貯水槽を造る事で
高い所から低い場所へ自然の
力を利用して水を供給しようと
していたそうです。
この貯水槽は完成から100年以上
たった今も街へ水を届けている。
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天王寺区の生國魂神社のすぐ隣にある
生玉公園には秘密が隠されている?
この公園は、かつて防空壕だったそうだ。
この壁は防空壕への入り口で、
よく見ると不自然にヒビが入っている。
自然地形の高低差を利用して、
中に防空壕が作られていて、
上には換気口がある。
高さ6m、長さ25mの小さな
体育館ほどの大きさで、
太平洋戦争で使われた
この防空壕には、過去に
内部調査が入ったことも。
実際に防空壕の中に入ると、
大きなスペースであったことがわかり、
トイレや衣類など、この防空壕に人が
避難していた形跡も確認されていた。
凸凹の換気口は今、二度とこの防空壕が
使われる事が無いようにコンクリートで
埋められている。
新之介代表によると、1942年に完成、
戦争末期に陸軍が使っていたとされている。
当時の資料は残っておらず、詳細は
明らかになっていないらしい。
そんな凸凹マニアの新之介代表が
パラダイスとよんでいるのが、
枚方でとても変わった地形を
しているという。
海成段丘面といって、かつて海の中で
形成された、平坦な地形が隆起したもの。
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兵庫県・神戸市 灘区にある
昭和42年につくられた鶴甲団地は、
ゆるやかな傾斜にならぶ普通の団地。
だが、かつてここには巨大な凸凹が!
それが標高327mの鶴甲山で、
山を切り開いてできた団地。
この消えた凸凹を紐解くと、
神戸の町の秘密が見えるという。
昭和30年頃 神戸市は戦後、
神戸の貿易量が急激に増加する中で、
当時の港の規模では対応が
困難になっていた。
人口も年々増加し、住宅が不足になり、
土地をつくることに!
それには、江戸時代から使われていた
埋め立てに海底の土砂を使う方法が
あるが、神戸港の土砂は粘土質で
ヘドロ同然の土で使えない。
そこで六甲の山の良質な土を
使えるだけでなく、切り開いた山と
埋め立てた海の両方の土地を使えるという
画期的なアイデアを思いついた。
候補のひとつに鶴甲山が選ばれたが、
3㎞離れた海へ土をどのように運ぶか
という問題になった。
土砂を運搬するのはトラックが
一般的だったが、この工事は大規模で
近隣住民への騒音・振動などの問題が
山積みで、現実的ではなかった。
考えた結果、前例はないが
山から海までベルトコンベアを設置し、
土砂を運搬するベルトコンベア方式を
使うことでコストや安全面を抑えられる。
ベルトコンベアを地下に埋めれば、
市民の影響も少ないと決断。
こうして、山から海へ
ベルトコンベアが作られる
鶴甲山工事を1960年に開始。
5年に及んだ工事は大成功!
埋め立ては勿論、開かれた土地を
団地にすることもできた。
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