今回は6月20日放送の

日本全国大捜索‼

ポツンと一軒家

を振り返ってみます。

 

 

衛星写真を拡大すると見えてくる、

山奥にポツンと建つ一軒家に

スポットを当てる番組。

 

 

 

茶色の屋根が住居?

他に白い建物が3棟

広大な敷地

つづら折りの道が敷地内に

衛星写真で見つけた

島根に近い方の鳥取県の

ポツンと一軒家を目指し

最寄りの集落から捜索を開始。

 

最寄りの集落で聞き込みを

しようとすると、犬の散歩を

していたおさんを発見。

 

さんに衛星写真を

確認してもらうと、

たぶん、オクヤマさんの

家ではないかという。

 

60代後半か70代の

オクヤマさん夫婦が、

さんとさんの

3世代で同居する家

ではないかということ。

 

さらにオクヤマ家は牛を飼って

酪農を営み、茶色い屋根が住居。

 

白い大きな屋根が牛舎のよう。

 

 

捜索再開、おさんから

教えてもらった道を進むと、

500m先にのびとハウスという

看板があった。

 

 

 

 

その方向に進むと、

ポツンと一軒家に辿り着いた。

 

 

 

 

笑顔で快く迎えてくれたのは、

ポツンと一軒家あるじ

オクヤママサエさん96歳。

 

 

同居する長男は留守だったが、

タイミングよく帰ってきた

クヤマシュンジさん70歳。

 

 

   

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残っている記録によると、

約350年前から先祖代々

この土地で暮してきたという

オクヤマ家。

 

シュンジさんの祖父が建てた

築100年の家をシュンジさんが

高校生の頃に植えたヒバの木

材料の一部に使い、3年前に外装を・

10年前に内装をリフォーム。

 

その家に今は、親子4世代5人で

暮しているようだ。

 

地元の町役場を定年になる1年前に

早期退職し、自宅の広い敷地を

提供して、地域の人たちと野外活動を

楽しんでいるというオクヤマさん。

 

麓では、敷地内にある白い建物で

牛を飼って酪農をしていると

聞いていたが…。

 

もともとは米農家だった

オクヤマ家。

 

昔も田んぼを耕すための

牛は飼っていたのだが、

本格的に子牛の

繁殖農家を始める。

 

それが、シュンジさんが

役所を退職した後の話。

 

 

 

のびとハウスとは?

 

シュンジさんによると

山の中にいるので野生人

そういう生活に憧れていて、

漢字では「野人(やじん)」

って書いたが、のびとの方が

ちょっと優しいかな?と、

自分で勝手につけたそうだ。

 

 

   

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江戸時代、この辺りを治めていた

鳥取藩は農耕用の牛や馬を買う

資金を農家に貸し付け、収穫した

米で元金と利息を回収する

牛銀制度を設けていた。

 

それによって、米の生産高は増えて、

牛馬の繁殖も盛んに行われるように!

 

牛馬が売買された

鳥取県大山の博労座は、

日本三大牛馬市の

1つとして発展。

 

最盛期だった明治の終わり頃には、

年間 1万頭もの牛馬が取引された。

 

今、ここに居るのは競りに出す前の

子牛とその母牛。

 

それ以外の妊娠中の牝牛は、

山で放牧させているそうです。

 

牛舎の脇の田んぼで稲作を続け、

昔ほどではないが、今も米を

出荷されている。

 

山の上にも広い田んぼがあり、

それを半分、牛の餌にする

牧草畑に変え、その周りに

牛を放牧している。

 

衛星写真に映っていた

つづら折りの道は、

上の田んぼに上るための農道。

 

冬以外は牛舎に戻さず、

山で放牧。

 

放牧飼育を始めたきっかけは、

シュンジさんが高校時代、

山に放牧する山地放牧を

やっている方が居て、

自然の中で牛がのびのびと

生活していくのが自然の理想

だと思ったから。

 

牛の飼料となる牧草も

自家栽培している。

 

牧草畑は3,000㎡で、

もともと 田んぼだった所に

オクヤマさんが自ら植えて

育てていた、

 

月に1頭ずつ生まれるように

計算して、牛を交配させ、

年間10頭ほどの子牛を飼育。

 

 

   

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